SIGNATURE 2018 4月号
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月の夜だった。戸外は深々と冷えていた。マラケシュは、モロッコ最大の賑わいを見せる都市だが、日中との気温差が「ここが砂漠への入口」なのだということを思い出させていた。ふと、庭園を散歩しようかという気になったのは、満月のせいである。 マラケシュの歴史の中で、もはや伝説の一部になっていると言っても過言ではないホテルがある。ジャマエルフナ広場のほど近く、まるで要塞のように堅牢な壁に囲まれ、門番に守られた『ラ・マムーニア』。名前の由来は〝ガーデン・オブ・マムーン〞、マムーンという花嫁に贈られた庭、からきているのだという。アラブの世界で、女性の名前が冠されるとはかなり特別なこと。そう、彼女は王子の妃、庭の歴史は18世紀、シディ・モハメド・ベン・アブダラ国王が、王子の婚姻の祝いとして贈ったことに遡る。 乾いた土地にあって、緑潤う庭は、格別な意味を持つ。そこは、外交の場所であり、慶事の舞台であり、所有すること自体が権力の象徴。モロッコにおいて庭で催す宴は、今も昔も最大級のもてなしであるという。 『ラ・マムーニア』の庭には、満月だけが幻想的に道を照らし、かつてのスルタンの栄枯盛衰が幾重にもたゆたっていた気がしたのである。ほんのりシトラスが香ってくる。年代物のオリーブの樹は風にそよぎ、パームツリーは高く高く聳えて、満月に届きそうだ。 1923年、王族のリアド(邸宅)ときさき庭を基に、アールデコとアラベスク様式の建物でスタートしたホテルは、当時、世界中を旅していたセレブリティをことごとく魅了した。なかでも、このホテルを「世界で最もステキな場所」と称賛し、いく度もの冬を過ごしたサー・ウィンストン・チャーチルとの蜜月は有名。ホテルには、チャーチルの名を冠したバーや彼の博物館のようなスイートルームがあり、そこに佇んでみれば、息遣いまでが聞こえてきそう。彼もまた、庭をこよなく愛したひとり。カンバスを前に庭を描くことは、滞在中、彼が好んだ日課だったという。 稀代のデザイナー、イヴ・サンローランとパートナーであるピエール・ベルジェがマラケシュに家を構え、制作のインスピレーションを得ていたのも有名な話だ。彼らをマラケシュの魅力の深みに招き入れたのもまた、繁く訪れていた『ラ・マムーニア』の功績。二人が買い取ったのは、1920年代にフランス人画家、ジャック・マジョレルが造園した『マジョレル庭園』のある館。マジョレルは、開業当時のホテルの装飾を担当した人物のひとりでもある。砂漠の地の緑には、確かに人を惹きつける磁場がある。 1世紀近くにわたり、歴史を紡いできたホテルが装いを新たにしたのは、2013年のこと。フランスの建築家、ジャック・ガルシアの指揮の下、およそ1000人もの職人が5年の歳月をかけてリノベーションを遂行した。そもそも博物館級であった建物を、壮麗さや精巧さを失わずに一新するには、気の遠くなるような作業が重ねられたことは想像に難くない。オリジナルの入口脇、新たに設けられたエントランスには、暖炉の火が赤々と燃え、その先に続くアラベスク模様の中庭や、調度品の並ぶファサードへの神妙にして幻想的な序章をつくり出している。アラビック・ワールドに浸るなら、やはりスパやプールなどの水辺がいいだろう。赤いランタンでライトアップされたスパのプールは、妖しく美しく、ハマムの蒸気と相まって、異次元へとトリップできることは間違いない。 今も、世界中のセレブリティが集うこの場所では、モロッカン、イタリアン、フレンチと、グルメな選択肢も並のレベルではない。ある日のランチのことだった。イタリアンで軽くパスタをオーダーすると「トリュフをおかけしますか?」。その日の夜、今度こそは軽めにと、パンプキンスープを所望したが、「トリュフ入りでございます」。 王族の見た夢に追随するには、こちら側の尺度も大らかに外していったほうがいい。『ラ・マムーニア』の庭を巡る宴。アラビアン・ナイトの夢は、それぞれに紡がれていくのである。7ヘクタール=東京ドーム10個分の広さを誇る庭園は、どこに佇んでみても絵になる美しさ。庭は、堅牢な壁で囲われている。噴水のある中庭や庭に立つリアド(邸宅)など、ふとしたところにアラブ世界の設えが顔を出し、異国の情緒を漂わせている。満
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