SIGNATURE 2018 4月号
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山村を一軒一軒誠実に郵便を配達して行く。父の姿を見ていて少しずつ郵便配達の仕事の大切さを息子も学び、父への尊敬の念を抱く。 険しい道を歩く二人。その二人を抱擁するかのごとき湖南省西部の山・谷、村の美しさに、観ていて何度も嘆息する作品だった。「このイメージが私にはあります」「失礼ですが、あなたのお生まれは?」「北京です」「こういう山間の村を訪ねたことはありますか?」「いいえ、一度もありません」 その素直な応え方が、逆に私の創作意欲をかき立てたのかもしれない。「これほど有名な作品と同じものを作るというわけにはいきません。あなたは三峡ダムがもうすぐ建設されるのはご存知ですよね」「はい。工事はもうはじまっています」「ダムが完成するといくつかの村が水底に沈んでしまうんでしょう? その村の物語ならもしかしてできるかもしれません」「それはいい。やはり思ったとおりの人だ」        運良くスケジュールが空いていたので、出発は二日後になった。 北京へ飛び、そこから重慶の街へ入った。 重慶へは午後に到着した。李君は宴会を用意してあると嬉しそうだった。「すみません。なるたけ独りにしてくれますか。夕飯も自分で探して食べます」 意外な顔をされたが、自分には重慶の街を一人で歩く主人公のイメージがあった。それを説明すると彼はすぐに納得してくれた。 あらかじめ重慶の街は調べておいたから、夕暮れ、麻雀に集う男女の姿を目にした時、私は妙な安堵を覚えた。 旅は独りで歩くことである。ましてや原作、脚本を構想するなら、主人公の街を歩く姿が湧いた方がいい。 屋台の飯屋は想像以上に素晴らしかった。手ぶらで座る私を気さくに迎えてくれた。 明日からの三峡下りの船旅に思いを馳せながら酒を飲んだ。        少年の頃、父から、旅は船旅がいいと、言われた。そのこともあってか、〝三峡下り〞を仕事以外に私は愉しみにしていた。 重慶から宣昌までの三泊四日の船旅である。船は少しばかり老朽船であったが、それが良かった。客の大半が庶民である。出発の折、苦力が荷物や肉、野菜を上半身裸で天秤棒に担いで船積みする。その姿はかたちこそ違え、嘗て私の父が沖仲仕として励んでいた姿である。 汽笛の音とともに出発した。川面は茶褐色で大河、長江の重厚さのようで頼もしかった。 川旅ははじめてであった。デッキに立つと左右に緑をたたえた山並が続いていた。 私は嬉しくなった。思い切って旅へ出たことで、これほどの美しい風景の中に身を置くことができたのを好運だと思った。 ガイドが一人、時折やって来て、不自由はないかと訊く。大丈夫です、と笑った。 豊都で一日目の夜を迎え、二日目に小三峡を別のぎしょうクーリーかつ長江遠景 写真・宮澤正明8

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