SIGNATURE 2018 4月号
5/82

船に乗って遡った。美しい水が流れる川面を滑るように走る船から、両サイドの崖を見上げると、〝懸棺〞と呼ばれる、古く高貴な人の棺が見えた。天の近くまで死者を送り届ける習慣らしい。崖の地質であろうか、時折、奇妙なかたちの岩が見え、馬が岩の中に半分埋もれて、後ろ脚と尾が出ているかたちを見て思わず微笑んだ。 昼食を岸辺のちいさな村で摂った。魚と野菜が美味であった。 二日目の夕方は岸辺に上がり、ガイドの親戚という若い娘さんと三人で楽しい食事をした。ガイドは少し酒に酔い、「この娘は夢ばかりを追って自分の足元が見えない」 と愚痴ともつかぬことを口走っていた。 ガイドが小用で席を立った時、私は彼女に「何か夢はあるの?」と訊いた。「上海へ行って女優になるの」 と、つぶらな瞳をかがやかせて言った。「いい夢だね。懸命にやればきっと夢は叶うよ」 私が言うと彼女は嬉しそうにコーラを飲み干し、ありがとう、と言った。 どんな国の、どんなちいさな村にでも、大きな夢を見つめている瞳があるのだと思った。 高倉健さんの原作は半分もできずに、若者がいずこかに立ち去った。未完の原稿は仕事場のどこか隅にあるのだろう。 今でも時折、美しい川の流れを目にすると、小三峡の青いせせらぎと、夕暮れの屋台で見た娘の澄んだ瞳を思い出すことがある。さかのぼ9一九五〇年山口県防府市生まれ。八一年、文壇にデビュー。小説に『乳房』『受け月』『機関車先生』『ごろごろ』『羊の目』『少年譜』『星月夜』『お父やんとオジさん』『いねむり先生』など。エッセイに美術紀行『美の旅人』シリーズ、累計百六十四万部を突破した大ベストセラー「大人の流儀」シリーズ、本連載をまとめた『旅だから出逢えた言葉』(小学館)などがある。新刊に『琥珀の夢 小説 鳥井信治郎』(上下巻・集英社)、『文字に美はありや』(文藝春秋)、『イザベルに薔薇を』(双葉社)。Cháng JiāngNumber 111Shizuka IjuinCháng JiāngThree Gorges

元のページ  ../index.html#5

このブックを見る