1 957年、牧阿佐美バレヱ団で初演を迎えた『飛鳥物語』。物語の舞台は、いにしえの国際都市・飛鳥(奈良)。竜神を祀るお宮に仕える舞女・春日野すがるおとめと幼なじみの岩足との淡い恋と、竜神の嫉妬の念を雅楽の音色と共に描き出した。 作者は日本バレエ界のパイオニア・橘秋子。日本の伝統美と西洋生まれの芸術を融合させたその壮大なバレエ絵巻は大きな反響を呼び、以降、橘の代表作として語り継がれることになる。橘のひとり娘であり、牧阿佐美バレヱ団主宰の牧阿佐美は創作の様子を振り返る。 「まず母が台本を書き、母と私で相談しながら創作をしていきました。かつて飛鳥は国際都市として栄え、海外からも多くの人が訪れていた。日本が舞台ではありますが、衣裳にしてもさまざまな要素が入り交じったものになっています」 主演の春日野すがるおとめ役は当時プリマとして活躍していた牧が務め、そのほか大原永子、森下洋子、川口ゆり子と錚々たるダンサーが脇を固めた。さらに、1962年にはオーケストラにより上演。だが開幕直前、思いもよらぬハプニングが起こってしまう。 「本番前日の舞台稽古の時のこと。ジャンプをしたら、着地の瞬間ものすごい音がして、そのまま歩けなくなってしまったんです。装置でも落ちたのかと思ったら、アキレス腱が切れた音だった。それで母が気づき、救急車で運ばれて……」 腱が切れては当然舞台に立てない。牧の代役として急遽二番手だった大原を据のりこいわたりえ、慌ただしく初日の幕を開けた。 「病室で『阿佐美ちゃん、無事に終わったよ』と聞かされた時は、ほっとしたのと、悔しいのと寂しいのとで、複雑な心境でした。私は2か月間も練習してきたというのに、(代役の)大原さんはたった1日で踊ってしまったんですから(笑)」 リハビリを経て舞台復帰まで1年半。杖をつき稽古場に通っては振り付けをし、毎月のように作品を発表した。 「あのまま何事もなく踊り続けていたら、振り付けはしてなかったかもしれない。ケガのお陰で創作に意識が向いた。その意味では有意義な時間でした」 ケガはひとつの転機となり、『飛鳥物語』は牧の振付家としての原点となった。それだけに本作に寄せる想いは強く、一昨年開催した牧阿佐美バレヱ団60周年記念公演では牧の手で生まれ変わった新制作『飛鳥ASUKA』を上演。主演の春日野するがおとめ役には元ボリショイ・バレエ団プリンシパルのスヴェトラーナ・ルンキナを、岩足役にはボリショイ・バレエ団のルスラン・スクヴォルツォフをゲストに招いている。 自身のカンパニーのダンサーを起用せず、海外のゲストを主演に据える。そこにはひとつの狙いがあるという。 「昔と比べて日本のダンサーも踊りの質は上がり、身体の線もきれいになりました。でも精神的な質が違う。今の子たちはどれくらい回れるかなど技術にばかり目がいって、芸術性に命を懸けている人はごくわずか。ただ私がいくら口で言っても響かないけど、海外のゲストを間近牧阿佐美『飛鳥バレエという芸術に触れる、ひとつの足がかりになることを願っていますASUKA』という作品が、青山季可「竜剣の舞」/清瀧千晴「竜面の踊り」(撮影:鹿摩隆司)『飛鳥物語』 日生劇場、牧阿佐美が踊った最後の舞台『飛鳥物語』初演大手町サンケイホール1419691957
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