とんださけねぎらとんだちょうじないまちこうじもと まだ春浅い3月末、ロンドンから北へ約110キロの田園地帯にあるケンブリッジシャー・フォーダムに橋本良英氏を訪ねた。由緒あるマナー「フォーダムアビー」の敷地に近づくと、沿道の樹木の合間から「酒」の文字が目に飛び込んできた。今秋オープンする、邦人経営によるヨーロッパ初の日本酒醸造所だ。酒蔵には研修所のほか、バーや和食レストランなどが併設され、日本酒文化の発信地として注目を集めている。 橋本氏は大阪府高槻市富田町の造り酒屋『寿酒造』の次男として生まれた。富田町は一向宗の寺内町であり、江戸前期に酒造りで栄えた日本最古の銘醸地。創業196年の実家の酒蔵は、「富田酒」の伝統を今に引き継ぐ。蓮如上人の教えが溶け込んだ暮らしの中で、橋本氏は酒の意義や魅力を胸に刻んだという。 「昔は鎮守の森と酒屋の煙突がある風景が当たり前やった。酒はもともと収穫祭の飲み物――信者の農民たちの労働を労い、疲れや苦しみを癒すものだったんですわ」。酒の原点に立ち返り、発酵過程での祈りの精神の大切さを熱く語る。 六代目蔵元の兄の下で24年間、蔵のサバイバルを懸け、次々と新企画を提案。地ビールにもいち早く着目し、1995年に大阪で初、日本では9番目に地ビールの醸造・販売にこぎつけた。46歳で独立。国産ビール発祥の地、大阪・北新地に『堂島麦酒醸造所』を設立し、地ビール「北新地」の醸造やパブ経営など、多角的なビジネスを展開。自社開発の機械とノウハウを基に、国内外で醸造プラントの製造・販売に乗り出す。2001年にはミャンマー政府の依頼で国営ビール新工場の建設に従事し、14年間、現地の事業に協力した実績を持つ。母方の祖先が戦前『大阪麦酒』(アサヒビールの前身)の社主で、ビールとの縁も深かった。 時代を先取りする勘の鋭さと、勝負師の顔を持つ橋本氏が「人生最後の仕事」と挑むのが、フォーダムアビーでの酒造りだ。清酒の国内消費量は年々減少し、毎年10軒前後の酒蔵が廃業していく一方、和食ブームの影響で輸出は右肩上がり――日本酒の未来を見据えての挑戦だった。ヨーロッパではまだ認知度が低く、輸出シェアは全体の6%ほど。最大のイギリスでも2%に満たない。「人の真似や、もう手が付いた所は嫌なんですわ」と話すが、狭い土壌での競争を避け、共存共栄を目指してきた氏らしい選択である。また、欧州に日本酒を広める機会とも考えた。 イギリスは伝統を守りつつも、革新を受け入れる度量の大きい国――日英同盟ではないが親近感を覚えると笑う。酒蔵建設に不可欠だった地〝bridge〞をもじり「かけはし」に決元住民の同意も、全員一致で得られた。 EU離脱で揺れる中、新たなベンチャー事業への期待は大きい。だからこそ、「地元の方々に可愛がってもらえる酒蔵でないと、長くは続かない」と気を引き締める。酒造りの要は「一麹、二酛、三造り」といわれるが、橋本氏が重視するのは「人」だ。国籍を問わず、清酒造りに情熱を注ぐ人材を育てようと、世界中から学生が集まる大学都市ケンブリッジの近くに拠点を定めた。「日本国内では競争もある。ここで腹を割って酒の将来を話し合ったり、皆で研究したりできれば」とも。 酒米と種麹・酵母菌は日本から輸入し、水は敷地内に掘った井戸の水を処理して使う。まずは吟醸酒、大吟醸酒、純米酒の3銘柄に絞り、4月から試作を繰り返して味を決めている段階だ。ブランド名は日英間の懸け橋という意味で、Cambridgeのめた。母方の祖先にあたる楠木正成の菊水の紋をロゴに用い、今秋から販売を開始。初年度は1万本程度を予定している。 コンセプトは皆と学びながら造る酒蔵。「まったくゼロからの出発やから、時間がかかると思いますわ」と語る柔和な表情に、気負いは感じられない。日本で脈々と引き継がれてきた酒造りの精神と國酒の伝統をイギリスに根づかせ、進化させる〝懸け橋〞となることを期待したい。酒造りの精神を、後世に引き継ぐために4013世紀の僧院に由来し、 75エーカーの敷地を誇るフォーダムアビー。 19世紀初頭に再建された邸宅内での講演会や宿泊も可能。文・安藤久美子 写真・富岡秀次*Text by Kumiko ANDOH Photographs by Shu TOMIOKADojima Sake Brewery英国の田園地帯に日英の“懸け橋”生まれんFordham Abbey, UK
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