SIGNATURE 2018年8&9月号
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CSignature18はしもと まり/日本美術を主な領域とするエディター&ライター。永青文庫副館長。著書に『SHUNGART』(小学館)、『京都で日本美術をみる【京都国立博物館】』(集英社クリエイティブ)藤田嗣治 《エミリー・クレイン = シャドボーンの肖像》1922年 油彩、銀箔、金粉・カンヴァス シカゴ美術館(アメリカ)蔵© The Art Institute of Chicago / Art Resource, NY© Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017 E28332018年10月19日(金)~12月16日(日) 京都国立近代美術館【東京展】 会期 : 2018年7月31日(火)~10月8日(月・祝)会場 : 東京都美術館 [東京・上野公園]開室時間 : 9:30~17:30※会期中の金曜は20:00まで、8月3日~31日の金曜は21:00まで※入室は閉室の30分前まで休室日 : 月曜、9月18日(火)、25日(火)※ただし8月13日(月)、9月17日(月・祝)・24日(月・休)、 10月1日(月)・8日(月・祝)は開室お問い合わせ 03-5777-8600(ハローダイヤル)展覧会公式ウェブサイト http://foujita2018.jp【京都展】 Foujita by Madame D’Ora, 1927 © Ullstein bild / aflo日本美術の冒険 第46回文・橋本麻里 美術にせよファッションにせよ、近代以降、「ゲームのルール」を作ってきたのは西欧で、そのルールを学ばない限り、土俵に上がることすらできず、正規プレイヤーとしてゲームを勝ち抜くことはさらに難しい。 そんな 「突破者」 の先駆けとなり、日本人としてもっとも成功したのが、藤田嗣治だ。 18歳で東京美術学校 (東京藝術大学の前身)の西洋画科へ進学、黒田清輝をはじめフランス留学経験を持つ教授陣から指導を受けた藤田は、26歳で念願のパリへ。だが日本で得た知識や技術は、早々に根本から覆された。藤田の、画家としての挑戦はここから始まった。そして前衛的な若い作家の発表の場として創立され、フォービスムやキュビスムなど新しい美術運動の発信地となっていた 「サロン・ドートンヌ(秋季展)」で、藤田は6点を出品して全作入選という快挙を果たし、2年後の出品作で決定的な評価を得る。 マネの名作 《オランピア》を思わせる裸婦像の、白磁のように透明感のある乳白色の肌の質感と、その輪郭を縁取る、面相筆で引いた細く滑らかな黒い線が、観る者を驚嘆させたのだ。 藤田がその技法について生涯口を閉ざした 「乳白色の下地」。それは、どれほど西洋人らしく振る舞い、それらしい絵を描いても認められることのない日本人画家が、「どうしても西洋人のできない仕事」として完成させた、「伝統の繰り返しでないまったく私の考案の日本画」(藤田嗣治『腕一本・巴里の横顔』講談社文芸文庫)だった。 没後50年の節目に開催される本展では、 「風景画」「肖像画」「裸婦」「宗教画」などのテーマを設け、その画業の全貌を紹介する。ブラolumnText by Mari Hashimoto没後50年 藤田嗣治展2世界に、日本人として生きたいと願った、パリの異邦人の生涯Art

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