SIGNATURE 2018 10月号
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CSignature歌舞伎名場面文・川添史子イラスト・大場玲子(兎書屋)1       しましゅんかんそうずなりつねおめあずまやきもへいほうがんにょごのていだて『平家物語』からつくられた能を、近「帰れない俊寛」である。9月の歌舞伎座、10月の国立劇場と、この秋は連続で『俊寛』が掛かるそうだ。6月には博多座でも上演されたばかりなので、今年はさまざまな上演を比べる絶好の機会。これだけ連続するのは、俊寛の物語が現代人の心をとらえ続けている証拠だろう。平家討伐の陰謀が発覚し、孤島・鬼界ヶ島に流された俊寛僧都、平判官康頼、丹波少将成経。やっと流人赦免の船が迎えに来るが、俊寛は成経の妻となった島の娘・千鳥を自分の代わりに船に乗せ、自分は一人、島に残る̶。松門左衛門が浄瑠璃化した『平家女護島』は全五段。『俊寛』はその二段目の切りに当たる場面である。能では孤島に残された俊寛が沖に出て行く船を見て、足摺りし、喚き絶叫し、嘆くところで終わり、ほぼ『平家物語』そのままの構成。近松は俊寛に、都で最愛の妻・東屋が清盛の心に従わず斬り殺されたと知って島で死ぬことを決意させる。そして成経と千鳥という愛し合う男女に心をつき動かされる慈悲によって、「進んで帰らない」道を選ばせる。この痛切さをはらんだ物語の中心に〝深い愛〞というテーマを据えたことが、今なお現代人を感動させる肝だろう。冒頭、島での侘しい暮らしを見せた後、若い二人を祝って言う「さてさて、面白うてあわれで、伊達で殊勝で、可愛い恋」という言葉も、しみじみとしている。十三代片岡仁左衛門は著書『芝居譚』で「いつも問題になるのは俊寛の年齢」と言い、「流人の疲れ、衰えを見せながら、どこかに若いところのある俊寛というのが、もっとも望ましいのですが、なかなかうまくいきません。が、あまり爺さんに見えてはいけません。だいたい爺さんになれば、女房が殺されたから島へ残ろうと言うほどの情熱が起こらんでしょうが」と語っている。先日、博多座で見た当代仁左衛門は、こういった父から伝わる解釈に、独自の工夫が随所に光る素晴らしい俊寛だった。特に最後、船を見送る表情は喪心の態、静かに俊寛の心の濃淡が伝わるドラマチックな舞台だった。もちろん解釈は、役者によって千差万別。秋の公演が待ちきれない。絶海の孤第25島回にただ一人残る僧侶。人間性を重視する近松の姿勢が、いかんなく発揮された名作中の名作しゅんかんそうず きかいがしまにおいて たまたま やすよりのしゃめん せんぼきとのず「俊寛僧都於鬼界嶋遇々康頼之赦免羨慕帰都之図」月岡芳年画早稲田大学坪内博士記念演劇博物館所蔵olumn妻のいない都へ戻ることを断念し、身代わりの娘を船に乗せ、ふたたび罪人として島に残る俊寛。遠ざかる赦免船に都への、妻への思いを馳せながら見送る俊寛の壮絶なまでの悲哀が表現された、歌舞伎でもよく知られた名シーン。画家は、幕末から明治前期にかけて活躍し、狂気の絵師と呼ばれた異色の浮世絵師・月岡芳年(1839~92年)。Text by Fumiko KAWAZOEIllustration by Reiko OHBA(TOSHOYA)平家女護島 俊寛19“Kabuki”a sense of beauty

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