とうすたっちゅう 「よくこんな庭が寺に受け入れられたものだ、と思われるかもしれません。重森さんは、東庭で北斗七星をかたどり、南庭では蓬莱などの四仙島を表現し、そして京都の禅の五山を表した5つの苔の築山をつくっています。西庭には、中国の田園風景を市松模様で描きました。じつは、この一連のイメージは、仏教の発祥と伝播というストーリーが下敷きになっているのです」 重森は作庭にあたって、東福寺から「ここにあるもので作ってほしい」と注文を受けた。「明治時代の廃仏毀釈、太平洋戦争と、お寺には苦しい時代が続いていました。重森さんにお願いする時も、あるものを使うしかなかったのでしょう」。重森は、そのハンデを見事に逆手にとって、東司(手洗)の柱だった円柱の石を北斗七星の形に置き、もともと東福寺にあった切石を利用して北庭に市松模様を描いた。唯一、リサイクル素材を使っていない南庭には、3つの長大石を寝かせて置くという、日本庭園史に例のない試みをしている。このモダンデザインには当時43歳の重森の、初期作品らしい実験精神が息づいているのだ。 「重森さんは東福寺の塔頭の庭もいくつか手がけられていて、特に龍吟庵の庭は、晩年の作品で、本坊庭園のような抽象性がありません。見比べてみるのも興味深いと思います」今回の夜間特別拝観では、重森の多面的な創作を、昼間の本坊庭園とは違った角度から感じられることだろう。「五山」の築山「北斗七星」の石西唐門井田市松通天台小市松「天の川」の生垣東庭西庭元・東司の柱石の余材を用いて北斗七星に見立て、雲文様の砂地に配した「北斗の庭」と呼ばれる東庭。後方には天の川を模した生垣が配され、足元に夜空の小宇宙が広がる。35「四仙島」の石庫裡「八海」の砂紋大方丈恩賜門北庭南庭東庭
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