かんざしあですがたかがいじゅうにひとえかむろおもざいにしえ 文・沢田眉香子写真・BANRI協力・神泉苑平八立髷に豪華な銀の簪を光らせ、前結びにした豪華な帯に刺繡の打ち掛け姿。三つ足の高下駄で独特の「内八文字」の足運びを見せながら、一歩、また一歩と歩む。女性の美と威厳を全身からにじませる艶姿。これが京都・嶋原太夫の「太夫道中」である。江戸時代、嶋原(京都の花街のひとつ、島原とも書く)では、とくに教養と芸に秀でた妓女の最高峰に太夫の位が与えられた。現在、その伝統を受け継ぐ女性はわずか5名。今回の特別拝観では、その一人の葵太夫が、東福寺の通天橋の燃えるような紅葉の中で、太夫道中を披露する。 「太夫道中は、僧侶のお練り(宗教行事としての行列)を様式化したものです。最近では神社やお寺で奉納道中をさせていただくこともありますが、神様・仏様だけでなく、一般の方にも見ていただけるのは、うれしいことどす」と葵太夫。桃山時代に豊臣秀吉の許可を得て開かれ、日本最古の花街として高い格式を誇った嶋原。公家など賓客のもてなしを務める太夫は、貴族の位である「正五位」の別称であった。御所に上がる時、貴族たちは位によって定められた色の袴を示すが、そのかわりに太夫は「正五位」の色である緋色の襟の裏地を見せた。それにちなんで、太夫の着付けでは襟を返すのがしきたりだ。ほかにも、太夫独特の装いがある。前に結んだ五角形の帯は「心」という文字をかたどった「心結び」。金糸をたっぷり使って彩られた打ち掛けは十二単を簡略化したもの。20キロ以上の重量があり、高下駄を履いて優雅に歩くためには相当の修練が必要である。そばに控えるのは、太夫の名前を縫い取った垂れを下げた付き人の少女・禿と、男性の傘持ち。隅々まで古式に則った姿が、見る者をタイムスリップさせる。伝統芸能の世界は、多くの職人の技によって支えられているが、太夫も例外ではない。葵太夫は禿から修業を始め、見習いを経て4年前にお披露目。その準備をする中で、太夫が履く三つ足という高下駄を作れる職人さんがもういないことを知った。 「なんとか下駄は探して、それが白木だったので、漆の職人さんに黒で塗っていただきました。鼻緒は下駄づくりたが、『三つ足の下駄を扱うのは初めて』と驚かれたんです。うちは生まれた時からこの世界どしたので当たり前のように思っていましたが、日本の伝統文化には廃れてゆくものも多いと実感しました。少しでも残してゆかないと、という思いを強く感じています」凛とした面差し、息づかいまでが感じられる距離からの観賞が叶う今回のイベントでは、美しさに秘められた、葵太夫の伝統への思いも感じ取ることができそうだ。紅葉と太夫。古の人が心から愛した京都の美の世界が、時空を超えてよみがえる。江戸時代のおもてなしを受け継ぐ、太夫道中のラグジュアリー嶋原太夫の若き継承者あおい たゆう|嶋原・司太夫の長女として生まれ、2歳8か月から禿、12歳で振袖太夫となり、15年の修業を経て2014年11月、下鴨神社で「葵太夫」としてデビュー。禿から振袖という、昔ながらの正式な手順を踏み太夫となるのは50年ぶりのことで、大きな話題となった。50年の職人さんにすげていただきまし今では作ることのできる職人がいなくなった、三つ足と呼ばれる黒塗りの三本歯の高下駄。/半襟を半分返して赤い裏地を見せるのは、太夫の位の証し。かつて嶋原は幕府公認の花街として、太夫は「こったい」とも呼ばれ、正五位の官位を持ち十万石の大名に匹敵するとされた。 Kyoto, Zen Gateway to Divine Colors of Autumn38
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