SIGNATURE 2018 10月号
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「多くの過去の傑作に触れて作業をする機会に恵まれていた私は、伝統的な時計製法が消滅していくなどと考えることはできませんでした」パルミジャーニ・フルリエの創設者で、時計師のミシェル・パルミジャーニ氏は、1970年代のクオーツショックでスイスの機械式時計産業が衰退していく中、自身の時計工房を開いた当時をこう語る。時計修復の分野からキャリアをスタートさせたミシェル氏は、はるか昔の先輩時計師が手がけた作品の息を吹き返す作業について、こうも語る。 「ほかの人たちが時代遅れだと言った時計製作の夢を追いかける自信を与えてくれたのは、修復作業でした」と。小さな部品の製作から組み立てまで、すべての作業を職人の手ひとつでつくっていた頃の時計の中には、オートマタのような芸術的作品までがある。コンピューターなどない時代の職人の叡智に、ミシェル氏は大いに魅了されたに違いない。「成功するわけがない」という周囲の助言には耳を貸さず、小さな時計の中にある大きな夢の世界だけを信じて、時計修復の作業に打ち込んだ。1978年にはムジュール・エ・アール・デュ・タン社を創業し、パテック・フィリップ博物館やデ・モン博物館収蔵の貴重な作品の修復に成功。修復師、時計師としてのミシェル氏の評価は揺るぎないものとなった。そんな折、ミシェル氏はサンド・ファミリー財団と出会う。貴重な時計とオートマタのコレクション「モーリスレクション」を所有する同財団は、そのコレクションの管理・修復をミシェル氏に委ね、また、その非凡な才能を開花させるべく、彼自身のブランドを立ち上げる支援をしていくこととなる。1996年、満を持してパルミジャーニ・フルリエが誕生。ブランド名に掲げられたフルリエとは、ブランドの拠点を築いた場所・フルリエ村にちなんで付けられた。初めてつくられた腕時計は、「トリックQPレトログラード」。ベゼルに交互に刻まれたゴドロン装飾とモルタージュ装飾は、パルミジャーニ・フルリエのデザインアイコンとして愛され、それらは前ページで紹介したト   =   イヴ・サンドコオートマタの修復もお手の物。小鳥が中から現れて美しい鳴き声を響かせる。コンピューターもない時代にどのようにして作られたのか。修復アトリエから時計ブランドへ部品、ダイヤル、ケース、ムーブメントの設計・開発を自社一貫製造。量産が難しい時計でも、自由な発想でコストを抑えつつ製作できるという。工房で今も行われるアンティーク時計の修復作業。それが今の時計技術の発展に生かされている。58

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