SIGNATURE 2018 11月号
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三寺歩想定されるサービスに対して最適な着衣型ウェアラブル。さまざまなニーズに合わせ、すべてをワンストップで供給することが、ウェアラブル市場で成功する最善の策だと気づいたのです 人なもんちゃうで。帰ってくれ」と追い返してしまう。しかし、こうした父だからこそ、虎の子の〝銀メッキ繊維〞を守ってもこられた。三寺が社長となり、商材、仕事先の仕分けなどをし、会社の状態は上向く。すると、今度は社員たち、身内からの反発が三寺を襲う。社員は口々に言うのだった。「糸のこと知らんやろ?わ」。批判の矢は実母からも 後飛はんうでちきらたが。「やり会ま社すはおとうちゃんのもんや。もう大丈夫やから、あんたはもう東京に帰り」。身内の感情とビジネスの狭間で三寺は追いつめられる。し そて銀うメしッたキ中を、編三み寺込らんはだ2イ0ン1ナ7ー年「1h月am、o電n極とモン=名称は日本語の「波紋」に由来する)」を引っさげ、米ラスベガスで毎年開催されている世界最大の国際家電見本市「CES」に参加、間髪入れず東京での第3回ウェアラブルEXPOにも出展する。反響は予想をはるかに超えるものだった。問い合わせの電話が鳴り続け、海外からの問い合わせでメールは埋まった。寺 起は死、可回能生性―と―。い決うし〝て蜘平蛛坦ので糸〞はをな握いり道しのめり、。そ三の一方では、テクノロジーが会社を再生させることを証明するのは自分の使命だと言い聞かせ続けてきた。『ミツフジ』がダメになれば、誰も再生を証明できなくなる。三寺の思いは会社を、最先端のIT企業に変えていった。三寺家三代が紡いだ〝可能性の糸〞は、人間の在りよう、社会の在りようを大きく変えようとしている。®(ハno.SignatureInterview15「hamon®(ハモン)」のホールガーメント製タンクトップと三寺氏。手に持つのはトランスミッターで、胸部分に装着する。。みてら あゆむ|1977年、京都出身。立命館大学経営学部卒。2001年、松下電器産業(現・パナソニック)に入社。その後、シスコシステムズ、SAPジャパンなどIT企業の営業職を経て、14年に実家の三ツ冨士繊維工業(現・ミツフジ)に入社、代表取締役社長に就任。15年に『ミツフジ株式会社』に社名を変更。17年、東京・内幸町にIoTウェアラブル製品の総合ブランド「hamon®(ハモン)」のショールーム『ハモンオープンイノベーションラボ』をオープンし、産学連携・企業連携を促進させている。生体情報で、人間の未知を編みとくwww.mitsufuji.co.jphamon®生体情報マネジメントを提供するスマートウェアwww.hamon.tech87Ayumu MITERAミツフジ

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