SIGNATURE 2018 11月号
3/76

に映った思わぬ光景が或る時、まったく違ったものと結びつくことがある。きる力があるのなら、どこでもよいから安いチケットを買って、異国の地を一人で旅しなさいと提案する。その理由はさまざまあるが、若い人がそれまで生きて来た世界とまったく異なるものがそこにはあり、まだ若く柔軟な脳と精神が、そういうものと遭遇すると、学校や師の下で受ける教え(授業でもいいが)の何倍もの何かを得ると確信するからである。同時に異国への旅は、その若者が、自分にはまだ何ひとつ、これが自分だというものを持っていないことに気付く機会にもなる。足に話せない若者を、その土地の大半の人々は異邦人として見つめる。差別の言葉を投げる人もいよう。旅をしていて、一人異国の街を歩いていると、目私は若い人たちに、もし時間と少しの金を準備で誰一人知り合いのいない土地で、異国の言葉も満私が最初に旅に出た五十年近く前は、日本という国さえ知らないのが、海外の地方の町の人々の間では当たり前だった。 「おまえはどこの国の若者だ?」と訊かれ、「日本から来た」と言っても「そこはどこにあるのだ?」と言われることが多かった。――そうか、日本は世界の中でそんな扱いなのか……。私は初めて目にする美しい風景や自然の美眺よりも、むしろ自分がナニモノでもないただの青二才だと知ることの方が大切だと思っている。その一方、或る年齢を重ねて後に出る旅の中でしか得られないものもある気がする。九年程前になるが、私はポーランドのクラクフという街に出かけた。ポーランドの或る場所へいつか行かねばと思っていたので出かけることにしたのだが、その旅に家人も同行したいと言い出した。旅が苦手な彼女がそう言い出したのには理由があった。私の旅の目的はアウシュヴィッツの元収容所のあった『アウシュヴィッツの或る小説を読んでいて、元収容所へ行くことを希望していたが、彼女の一番の目的はクラクフという街を訪れることだった。この街はローマ法王、ヨハネ・パウロ二世の故郷であり、クラクフ近郊のヴァドヴィツェで生まれた彼は、この街で長く司教を務めていた。敬虔なクリスチャンである彼女はこの法王とマザー・テレサを敬愛していた。クラクフは美しい街だった。日本でいうなら東京がワルシャワで、京都がクラクフといった印象だが、長くポーランド王国の首都であった街である。家人は落着いた雰囲気の街並みと暮らしているビルケナウ博物館』だった。家人も遠藤周作与謝蕪村文・写真・宮澤正明伊集院静月天心貧しき町を通りけりText by Shizuka IJUINPhotograph by Masaaki MIYAZAWA       =    7

元のページ  ../index.html#3

このブックを見る