© FAREAST PRESS / AFRO写真・岡村昌宏 文・藤島大 協力・ヤマハ発動機ジュビロ あの「事件」の翌朝。とある放送マンは、息子のサッカースクールの練習をいつものように眺めていた。異変が生じた。みんな、両の手の指を組んで、ひどく集中した顔をしながらフリーキックを蹴っている。 五郎丸だ。ラグビーの日本代表が、国際ラグビーの巨人、南アフリカをやっつけた。さっそく丸いボールを愛する少年たちは、楕円球のヒーローの真似をした。 さらに某日、池袋演芸場。紙切り名人の林家正楽が登場する。ラグビー愛好家のとある経理マンが声を掛ける。 「ゴロウマル!」しょうらく 「無理だと思います」。ちっとも無理ではなかった。鋏は生き物のように動いた。完成。あのポーズだった。 五郎丸歩――。オーストラリアのレッズ、フランスのトゥーロン、地球規模で一流クラブに招かれ、古巣であるヤマハ発動機ジュビロへ戻れば、重厚にして堅実な攻守、変わらずよく伸び、よく決まるキックで存在を示す。 秋の午後、静岡県磐田市のヤマハのクラブハウス、3年前、社会現象のよはさみ 「早稲田大学のラグビー部には、絶対に勝たなくてはいけない、勝利は当然という文化がありました。高校時代も目標は全国制覇でしたが、そこまでではなかった。トップ級の選手のよさももちろんある。でも早稲田には、いわゆる弱小高出身なのに、しかも受験で一浪、二浪しているのに、憧れて入部してきた人間がたくさんいました。彼らが、スキルはないのに体を張る。ひたすらタックルする。無心にボールを追いかける。それまでに経験したことのない環境でした。普通なら体が小さければあきらめてしまうんです。本当に刺激を受け続けた4年間でした」――さまざまな背景を持つ部員たちが個性をぶつけ合い、日本一という目標へ突き進む。小さな社会ですよね。 「僕自身は高校時代のトップクラスという部類なんでしょうけど、そうでなかった連中も簡単にこちらの力を認めようとしない。自分は自分だ。みんな芯を持っていましたよね。よきライバ――卒業して、歳月を経て、その仲間との交流は保たれていますか。 「はい。(トップリーグ在籍者など)僕らはラグビーをずっと続けてきた。彼らは勉強をして、ラグビーは大学で終えて、さまざまな企業へ入り、そこで厳しい時間を過ごしている。久しぶりに会うと、社会人としての風格というか地位というのか、そういうものを感じる。そこでまた刺激を受けますよね」日本酒のコンペティションでの「若手奨励賞」の授与や、若手音楽家に演奏の機会を提供するプログラムなど、次世代へのサポートを積極的に進めているダイナースクラブ――。大学ラグビーに協賛するプロジェクトもまた、その取り組みの一環だ。W杯という世界的規模のイベントが間近に迫ったラグビー界で、学生時代から確固たるポジションとキャリアをつかみ取ってきた五郎丸歩さんに、大学ラグビーの時代性を伺った。2015年9月19日、英国 ブライトン・コミュニティ・スタジアム「ラグビーワールドカップ2015」。34-32のスコアで、南アフリカ戦に劇的な勝利を収めた試合でトライを決めた五郎丸。 75ど―ーう未今―う」ででをあ大を来し語っ学ったた生は変かた人活。。気のえ変者開が始わな「、私けいらとざ大れな入学部ラいばしグてビ、、五ルきまと郎しい丸たう」か歩、そういう関係になっていPhotographs by Masahiro OKAMURA(CROSSOVER)Text by Dai FUJISHIMASpecial Thanks to: YAMAHA Rugby Football Club
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