今を変えなければ、未来は変わらない©AFROSPORT 早稲田黄金期の主役のひとりだ。ハイライトは2年次、日本選手権でトップリーグの強豪、トヨタ自動車を28対ルブラックスの大男も含む、国内上位クラブに勝ってしまった。あれもスポーツの文脈では「事件」だった。――たまに思い出しますか。 「秩父宮ラグビー場のファンがみんな早稲田を応援してくれて。おもしろかったですね。あのチームは最初からトップリーグに勝つことを目標としてきました。大学日本一も当然うれしいのですが、あくまでも通過点という感じで。負けると思われている側が、あきらめず大きな相手を倒す。すると観客が感動してくれる。その意味では、ジャパンの南アフリカ戦とも重なるような気がします」――日本の大学ラグビーの将来はどうあるべきと考えますか。 「経験上、日本人の体格、体の強さのピークは30歳前ではないかと。だから若くして海外へ出るべき、トップのチームへ入るべき、という意見は必ずしも当てはまらない気もします。もちろん早くから経験は積める。ただ(大学に進まなくても)結局、ピークは30歳前後。ならば大学でラグビーだけでなく、さまざまなものを吸収したほうが、その年代で本当のピークを迎えられる。一歩ずつ、それぞれの大学のスタイルを学べばいいのだと思います」 おのれを知り、世界を知り、おのれへ帰る。ラグビーの生き方だ。 32歳。銀色のオーラの「背番号15」もまた若き日、早稲田大学のグラウンドに、おのれを見つめ、初めての自画像を描いたのである。 さて、大学ラグビーは佳境へ。9連覇の帝京も盤石には届かず、関西の天理が充実、ここは「互角に近い」が多くの見立てだ。明治、創部100年の早稲田、慶応、大東文化、東海も迫り、近年にない実力接近の様相だ。 © FAREAST PRESS / AFRO五郎丸歩76右:2005年1月9日、国立競技場「第41回全国大学ラグビーフットボール選手権大会」早稲田大vs関東学院大の決勝(31-19)。この試合で五郎丸は1年生ながら1T3Gで優勝に貢献。 左:2017年9月2日、秩父宮ラグビー場「ジャパンラグビー トップリーグ2017-18」。サントリーサンゴリアスvsヤマハ発動機ジュビロ(27-24)。この試合でリーグ戦通算100試合出場を達成。 24でやっつけた。学生さんが、元オーごろうまる あゆむ|1986年、福岡出身。3歳でラグビーをはじめ、佐賀工業高校では3年連続で花園に出場。早稲田大学進学後は1年次からFBのレギュラーとして活躍し、4年間で3度の大学日本一を経験する。在学中の2005年、日本代表に初選出(代表キャップ57)。08年、ヤマハ発動機ジュビロに入団。以降、国内屈指のキッカーへと成長し、得点王を3度、ベストキッカー賞を2度受賞。15年、イングランドで開催された「ラグビーワールドカップ」で日本の快進撃に貢献。同大会で2度のマン・オブ・ザ・マッチを獲得して代表を牽引した。16年には自身初の海外リーグに挑戦。17年、ヤマハ発動機ジュビロに復帰。
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