SIGNATURE 2019 1&2月号
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出家という仕事は、決して枠にはまらない仕事である。 ある有名な大演出家の弟子である、ということを言っている間は、その人はそれ以上の存在にはなれない、と聞いたことがある。もっともだと思う。 どんなに技術や知識を論じ、身につけることができたとしても、そつのない秀才になれたとしても、それだけでは何かが決定的に足りない。それぞれが唯一無二の我流を通している、人間性の領域に属する泥臭い仕事。それが演出家という職業の面白さではないだろうか。 宮本亜門という人を30年近く見続けてきた。ミュージカルもオペラも、ストレート・プレイも、名づけようのないエンターテインメント・ショウも、折に触れてその舞台に接してきた。最初から感じていたのは、この型破りでエネルギッシュな、底抜けにポジティヴなエネルギーを持ち、心の奥底に痛みを抱えながら、舞台の隅から隅までを愛し抜いている宮本亜門という演出家は、オペラ界にとって絶対に必要な人だということである。 宮本亜門の原点のひとつとして、決して見落とすことができないのが三島由紀夫の存在である。芝居として『金閣寺』を作ったこともある。 その意味では、黛敏郎(1929〜97年)作曲によるオペラ『金閣寺』を、フランス国立ラン歌劇場と東京二期会オペラ劇場との共同制作で彼が演出することは、避けがたい宿命だったと言える。演人や そんな彼が、黛のオペラ(しかもドイツ語による独自の翻案)とどう向き合うかは、大いに興味深いものがあった。黛といえば、三島と同じく保守系の思想を持つダンディなモダニストであり、仏教や声明をバックボーンとしながら、日本独自の実験音楽を探究していたことで知られる。黛によるオペラ『金閣寺』について、亜門さんはこう語る。 「たいへん楽しく演出させてもらいました。『金閣寺』にはいろいろあって、原作以外に、市川雷蔵が演ったときの映画版(市川崑監督『炎上』1958年)、それからカラー版の映画『金閣寺』(高林陽一監督1976年)もあったり、映画化もいくつかあるんですが、どれもまったく違う視点なんですね。 原作はもともと長編私小説で、主人公の溝口が、自分の内面をメインに語るように作られています。そこに和尚だとかいろんな人物が出てくるものの、要するに彼の内面の葛藤ばかりなんです。そうなると結局、読む人や、映画化あるいは舞台化する人が、まったく違う視点で見ることができてしまう。言い換えればそれだけ許容範囲が広く、イマジネーションが広がりやすい作品なんです。 だから、クリエーターが興味のあるところに作品を近づけることができる。なので、黛さんの『金閣寺』は、実にお経が多い。お経が主役といっても過言ではない。それも巨大な力をもったお経。これno.SignatureInterview8914Amon MIYAMOTOみやもと あもん|1958年、東京生まれ。2014年、東洋人演出家として初めてニューヨークのオン・ブロードウェーにて『太平洋序曲』を手がけ、同作はトニー賞4部門にノミネートされた。13年、オーストリアにてモーツァルトのオペラ『魔笛』を初演出し4万人を動員。また18年に、世界で初めて能楽と3D映像を融合した『幽玄』を、皇太子徳仁親王、マクロン大統領を迎えヴェルサイユ宮殿で上演。ミュージカル、ストレートプレイ、オペラ、歌舞伎など、ジャンルを超える演出家として国内外で幅広い作品を手がける。 www.amon-miyamoto.comフランス国立ラン歌劇場で演出の指示をする亜門氏。

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