1 まごううえののはつはなこうちやま文・川添史子 イラスト・大場玲子(兎書屋) 今秋、中村吉右衛門が演じた『天衣紛上野初花河内山』は、闊達自在な台詞術で河竹黙阿弥の言葉が躍動し、痛快、毒舌、豪胆な江戸っ子悪党を大きくふくらませた「魅力の塊」、大当たりの芝居であった。上演回数の多い作品だけにすっかり知り尽くしていたような気がしていたが、今回、その面白さを再発見、堪能した次第。 お数寄屋坊主(城中で大名たちの世話をする将軍家直轄の茶坊主)の河内山宗俊は、松江侯に幽閉された質屋・上州屋の娘を助ける約束をし、金を受け取る。ここで河内山が上州屋の番頭らにズケズケと言い放つ「失礼ながらこなた衆は八はい豆腐や目ざし鰯の惣菜ばかり食っているから、その工夫はつくまいて」や「みんなひじきに油揚連中、ふるった智慧も惣菜じゃあ、ろくな工夫もつくまい」は痛快だ。くもに 緋の衣というもっともらしい出で立ちで身分を偽って松江家へ乗り込んだ河内山は、出雲守に談判して見事娘を救出。しかし帰りの玄関先で化けの皮が剥がれ正体を見破られ「何もかも言って聞かせらあ。まあ聞いてくれ。悪に強きは善にもと……」と居直って啖呵を切る。「バカめ!」と喝破して意気揚々と引き揚げる気持ちよさ。初代吉右衛門は「玄関先の笑いが一番難しい」と語ったとか。かけて白浪毒婦もので名声を得ていた二代目松林伯圓、通称〝泥棒伯圓〞の講談から取材した全七幕の世話物。それを黙阿弥が明治の三絶と呼ばれた九代目團十郎、五代目菊五郎、初代左團次、いわゆる團・菊・左に役を割り振って書き下ろした大作だ。河内山は実在の人物といわれており、遊俠に身を投じいずものかみしょうりんはくえんて御使僧に化け、松江侯をゆすったのは実際の事件とされている。悪事を重ね文政6年(1823年)に新吉原の遊女屋で捕らえられ、数か月後に牢死。藩の不祥事が外に漏れるのを恐れた役人が毒を盛ったともいわれている。 伯圓が河内山を講釈にしたきっかけとなったエピソードも、今に伝わっている。天保弘化の頃、両国の並び茶屋に有名な美女「おとく」という女が働いていたという。これが牢死した河内山の娘だと通客から聞いた伯圓が、あれこれ想像力をふくらませて講談に仕立てたそうだ。ごしそうCSignature歌舞伎名場面 第28回 『天衣紛上野初花』は、幕末から明治にいわくつきの茶坊主に、お尋ね者の色模様。アウトローたちの生き様を描いた、江戸っ子好みの「悪党礼讃」くもにまごううえののはつはなolumn19早稲田大学坪内博士記念演劇博物館所蔵天衣紛上野初花河内山宗俊=九代目 市川團十郎片岡直次郎=五代目 尾上菊五郎明治33年(1900年)三代目 國貞(1848~1920年)画「天保六花撰」と謳われた6人のアウトローたちを描いた、河竹黙阿弥の世話物の傑作。ゆすりたかりの悪党ながら、人助けのためには大名をやり込める、どこか憎めない茶坊主・宗俊のくだり「河内山」と、御家人くずれのお尋ね者・直侍と恋人・三千歳との哀切極まる情話のくだり「直侍」が個別に上演されることが多い。Text by Fumiko KAWAZOEIllustration by Reiko OHBA(TOSHOYA)“Kabuki”a sense of beauty
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