づけたことに由来し、鉱泉を意味する。古代ローマ帝国時代から温泉の湧く保養地として知られていた。 この地を帝都としたのがカール大帝(フランス語でシャルルマーニュ、742〜814年)である。 カール大帝の一生は、領土の拡張に終始したといってもよい。その結果、イギリスとスペインの小国を除いて西ヨーロッパのほとんどが支配下に入り、アーヘンは王都となった。このことにより、ドイツとフランス両国からは始祖的な英雄とみなされている。紀元800年、カール大帝はローマに入城し、教皇から皇帝の冠を受けた。中世以降はローマ帝国を復活させたとして、「ヨーロッパの父」と呼ばれている。大帝の死後、ーヘンの名は、ゲルマンの部族のフランク族がアーハと名王国はドイツ、フランス、イタリアに分裂をした。 世界遺産のアーヘン大聖堂は街の中心にあり、カール大帝はここに埋葬されたとされる。伝承によれば、オットー3世が11世紀にカール大帝の霊安所を開帳させた時、遺体は大理石の玉座に座り、皇帝のローブをまとって頭に帝冠を戴き、手には王笏があったとされ、大理石の玉座は今も見ることができる。 1827年に建てられた飲泉所・エリーゼンブルネン(エリーゼの泉)もすぐ近くにあり、公園になっていて、ドーリア式の円柱を持つ半円形の美しい建物には瀟洒なレストランとギャラリーが入っている。名前はバイエルン王国の王女で、後にプロイセン王妃になったエリーザベト・ルドヴィカの愛称にちなんでいる。しゃくおう上から:セントレ・シャルルマーニュ博物館、カール大帝の黄金のレリーフ。/1978年、ドイツで初めて世界遺産として登録されたアーヘン大聖堂。 礼拝堂のステンドグラスは中世の増築で、「ガラスの家」と呼ばれる。/大聖堂の内陣。/大聖堂近くの市庁舎。左:大聖堂、八角形のドームの天井画。Special FeatureBonn: On Home Ground with Young BeethovenAachen and Elisenbrunnen ヨーロッパ発祥の地、アーヘンア
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