SIGNATURE 2019 1&2月号
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 わずか19室のスイートルームの客船「ガンツウ」。大小の島々がほっこりと浮かぶ瀬戸内の海を巡る3泊4日の旅は、広島県尾道のベラビスタマリーナに接岸する、この船に乗り込むことからスタートした。 切り株のオブジェと一輪挿しが凛としたアクセントを添える、真っ白なエントランス。豪華客船のエントランスといえば、黄金色に輝く派手な螺旋階段にキラキラのシャンデリア、ウェルカムの生演奏……というのが、どちらかといえば定番。でもここには静謐な和の世界と、客室専任クルーの穏やかな微笑みがあるのみ。〝つくり込んだ非日常〞で盛り上げる旅ではなく、〝日常の延長線上にある非日常〞。そっちのほうがラグジュアリーさをかえってかもし出すこともあるのだ。 そんな気負いのなさは、この船のネーミングにも表れている。「ガンツウ」とは、瀬戸内海で時々漁師の網にかかる、小さな蟹の愛称なのだそうだ。「ほほう、それはさぞかし珍味なのでは?」と、早とちりすることなかれ。実はその身は少なすぎて食するに値せず、味噌汁や鍋の出汁くらいにしか使いようがないのだとか。でも、そんな〝出汁的な存在〞を、瀬戸内の人は親しみを込めて「ガンツウ」と呼んできた。出汁がどれほど料理にとって重要なポジションを占めるかは、日本人ならばおわかりのことと思う。そう、船の「ガンツウ」の名は、瀬戸内の地元の人にとっても、乗客にとっても、蟹の「ガンツウ」のようにじんわりと親しまれる存在になってほしいと願ってつけられたのだ。 清潔な白いシーツに包まれたベッドとテラスの露天風呂に少し心が惹かれるけれど、船が港を離れたら、やっぱり3階のデッキへと足を運ぼう。日本の伝統家屋のような三角屋根の下のバーカウンターでシャンパンをピックアップし、船首へ。片側には尾道の街並みが流れ、もう片側では島々が現れては消えていく。あるいは、船の側面にある縁側に寝転ぼうか……。足を放り出し、ちょうどよい背もたれに身体を預けると、〝余計な日常〞は、泡のようにどこかに消えていく。ここにあるのは海と島と空、そして、心地よい水と船のエンジン音だけだ。 ぼんやりしていると、絶妙なタイミングで素敵なおつまみの盆をクルーが持って来てくれた。もう少しこのひとときに浸っていたいから、ディナーはとっぷりと日が暮れてからにしよう。この手づくりのつまみをアテに、〝非日常のラグジュアリー〞を堪能し尽くしてしまおう。 日常をラグジュアリー非日常にする、海上のしだ2563411.床も壁も、緩やかなカーブを描く螺旋階段も、白一色のエントランス。2と3.設計は、建築家の堀部安嗣氏によるもの。木の温もりと瀬戸内のおっとりとした風の気配を随所で感じさせるところが、日本の船らしい。4.船首にある唯一の部屋、「ザ ガンツウスイート」の露天風呂。5.まるで海に浮かぶお宿のような船体。6.縁側の上方には庇があり、直射日光がちょっぴり苦手な方も、心地よくくつろげる。50

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