横に振った。するとかたわらで若女将が「おかあはんがあんなにお言いやすのは、あなたに来て欲しいからだす。遠慮のうお寄りやす。京都の冬はそらええもんどす」。 何が、どこが良いのかもわからず、生家での挨拶を終えて、上京の途中で夕暮れの京都で降り、三年坂の坂のなかごろにある宿へ行った。表札に名前があるだけの二階建てで、入口もこぢんまりしていた。――これが本当に宿なのか? 木戸を開け、玄関で声をかけると、一人の老婆があらわれた。――先生じゃないんだが……。 老婆は私の姿を二度、三度見直し、嬉しそうにうなずいた。 それがおふくさんだった。この冬から何年か、私は彼女の世話になることがはじまった。生のお好きなようにしてもらうように言いつかってますよって」――先生じゃないんだが……。 部屋は二階で、四畳半と二十畳余りの広さで窓を開けると隣りは神社の庭が見下ろせた。白いものが舞って来た。 湯を上がると、ビールどすか、といきなりすすめる。男児がそうするものだと信じているような言い方だ。その夜、河原町で食事をして戻ると、すぐ湯に入れとすすめ、上がると膳にビールと肴が準備してあった。見るとあざやかな餅花が、屏風の前にあふれるほど飾ってある。夕刻は見なかった。に先生一人なんどすな」――誰と来るというんだ? 翌朝、目覚めるとまた湯である。ビールに美味しい漬物が出た。 二日ばかり滞在して、宿を去った。坂の途中に立っておふくさんはいつまでも手を振っていた。 上京し、六本木の店に礼を言いに行った。起きて往復二時間かけて買いに行ったようです。よほどファンになったみたいですよ」と笑った。 その話を聞いて、二日の滞在が雪模様だったから、あの老婆が雪道を一人で私のために傘を差して歩く姿がよみがえり、数日後、お礼の手紙を出した。返事は来なかった。 それから京都へ行くと、その宿を利用した。先客がある時は一階の茶室で寝かされた。 女将にも、若女将にもおふくさんが私が来るのを楽しみに待っていると言われた。 或る年、おふくさんが私に彼女の若い時の写真を見せてくれた。古い写真の中に芸妓としてお座敷に上がっていた姿があった。彼女は〝地方さん〞と言って、舞いはしなくて、音曲をする芸妓であった。 おふくさんはほんのりと頬を赤らめた。 私はただの青二才だったから、おふくに、先生、先生と呼ばれるのに閉口した。じかたでも何とか頑張ってみるよ」 宿に通うようになって七、八年目の松の内、私はその宿に初めて女性とともに出かけた。おふくはたいそう喜んでいた。 その冬、私たちはさまざまなことを決めなくてはならなかった。 二人して河原町の映画に出かけた。〝寅さん〞の正月興行に入った。隣りで涙ぐんだり、お腹をかかえて笑うのを見ていて、私は何とか二人で歩いて行こうと決心した。映画館を出ると雨が降り出していた。先斗町の小料理屋で夕食を摂り、宿に戻って、私は意志を告げた。窓を開けると雨は雪に変わっていた。 私の仕事場の隅に、俳句手帳なるものがある。彼女も俳句を嗜み、俳号を海童という。 一九八一年の手帳の冒頭にこうあった。〝寅さんを観て正月の雨となり〞 遠い遠い冬の雨である。たしな 9 「あれは何と言うの?」 「先生はやめてくれないか。私はただの風来坊だ。一九五〇年山口県防府市生まれ。八一年、文壇にデビュー。小説に『乳房』『受け月』『機関車先生』『ごろごろ』『羊の目』『少年譜』『星月夜』『お父やんとオジさん』『いねむり先生』など。エッセイに美術紀行『美の旅人』シリーズ、本連載をまとめた『旅だから出逢えた言葉』(小学館)などがある。新刊に『琥珀の夢 小説 鳥井信治郎』(上下巻・集英社)、『文字に美はありや』(文藝春秋)、『日傘を差す女』(文藝春秋)。最新刊に、累計百八十五万部を突破した国民的ベストセラー「大人の流儀」シリーズ8『誰かを幸せにするために』(講談社)がある。 「まあ降り出しました。さあ、お湯に入っとくれやす」 「綺麗だね」 「何をおっしゃいまして……」 「今日はおかあはんはお出かけどすから、どうぞ先 「伊集院先生、よう見えてもらいました」 「あれはおふくさんがあなたのために毎朝、五時に 「いや、あの千枚漬けは美味かった」 「千枚漬けだす。これは××でのうてはあきしません」 「これは美味い。何と言うの?」 「餅花どす。一人でお淋しいと思いまして。ほんま 「今のままでよろしゅおす。先生は」Shizuka Ijuin伊集院 静
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