SIGNATURE 2019 1&2月号
53/82

 今回修復される軍荼利明王像もまた、「五大力尊仁王会」で、祈りの対象となってきた五大明王像の1体である。長い年月による劣化に加え、安置されている不動堂から法要を行う金堂への移動も仏像に負荷を与えているからか、かなり傷んでいたようだ。修復の状況を『あきかわ造仏所』の岩崎靖彦さんに伺った。 「軍荼利明王像は、五大明王像の中で最も損傷がひどい状態でした。護摩焚きの煤で黒ずんでいるだけでなく、右半身は雨水の被害で彩色が落ち、白い下地がむき出しになり、その影響で部材も緩んで外れかかっていました」 作業は彩色層が落ちる危険性があるため、寝かせた状態で行うという。まず、刷毛で汚れを取り除いた後、剥がれそうな彩色層に水で溶いた膠を染み込ませ、和紙でやわらかく押さえ、汚れを吸着させつつ剥落止めをする。お像については、ごだいりきそんにんのうえにかわ「本手(中央で交叉する手)の付け根や左肩は緩んでいるため、いったん取り外します。特に台座の部材は緩みが顕著なため、蓮華部以外ほぼ全て解体して修理します。X線調査で釘や鎹の位置を確認し、彩色も落とさぬよう慎重に行います」。基本方針は原則「現状維持」だが、足指の先や、台座四隅の飾り柱など、像の安定性に影響する欠失部は補作する。このような方針を、岩崎さん、醍醐寺、仏像彫刻の研究者と検討しながら決めている。 前回修理した大威徳明王像は、白い下地が露わになったところに、煤を水で溶いた「煤液」で暗色化させて目立たないようにしていたが、軍荼利明王像については、白い箇所の面積が広いため、煤液ではなく、周囲と馴染む暗めの青色を補う予定だという。このような対応も修理する対象の状況によって変えていく。 「醍醐寺様の五大明王像は、文化財修理かすがいでも〝応用編〞的なものです。経験と調整能力が必要で、一筋縄にはいかないところがあります」  岩崎さんによると、この仏像は江戸時代初期らしい優れた出来映えだそうだ。一般的に江戸時代の仏像は時代が下るにつれて部材数が増えて構造が煩雑になり、極端なものでは木でモデリングするかのようになっていく。「この像は岩座も大写真・ 忠之 文・藤田麻希きなブロックから彫り出して、ミケランジェロが石を彫るときの粗取りのような強さがあります。足腰や首の据わりなどのバランスもよく、立体感に富み、特に後ろ姿には鎌倉時代の仏像のような風格さえあります。彩色や截金も含め、元の仕事が非常にていねいになされているので、ていねいな作業で応えれば、相応に美しさを取り戻してくれます」。だいいとくみょうおうぐんだりみょうおうあらどきりかね醍醐寺/ダイナースクラブ文化財修復プロジェクトリポート開創以来千百余年の間、祈りの対象として守り継がれてきた醍醐寺の寺宝。ダイナースクラブの支援で始められた修復プロジェクトで今回対象となったのは、一昨年の不動明王像、昨年の大威徳明王像に続き、五大明王像のうちの1体、軍荼利明王像。5体のうち、最も彩色の剥落が激しい本像の修復のプロセスは、一筋縄ではいかない苦労の連続だった。遙かな時を経て残された色彩上:ひるがえった衣の内側に残された鮮や上:ひるがえった衣の内側に残された鮮やかな色彩の中に蝶が描かれている。下:蓮かな色彩の中に蝶が描かれている。下:蓮華座を踏む足首には蛇が巻きついている。華座を踏む足首には蛇が巻きついている。65

元のページ  ../index.html#53

このブックを見る