かみこひとえおんけいせい美な伊左衛門は、上方和事の典型的な役である。 最後は親元から勘当を許す知らせと、夕霧の身請け金の千両箱が積み上げられて、めでたしめでたし。いっぺんに春が来たような幕切れは、観客も幸せな気持ちにしてくれるのだ。 夕霧伊左衛門の恋は元禄時代の伝説で、井原西鶴は『好色一代男』の中で、実在した夕霧を「神代このかた、また類なき御傾城の鏡」と表現した。20代の若さで没した時には「大坂中がその死を悼んだ」といわれ、その後多くの〝夕霧もの〞が誕生。亡くなった延宝6年(1678年)1月6日(一説に7日)は「夕霧忌」として、俳句の季語にもなるほどだ。 めでたさに沸く『吉田屋』の最終景を見るといつも、「早逝した夕霧にも、こういった幸せな時間があったかしら」と、どこかしみじみとした気持ちにさせられる。かみよCSignature歌舞伎名場面文・川添史子 イラスト・大場玲子(兎書屋) 第あら29ごと回 物語やドラマではなく、雰囲気や風情、役者の芸を、理屈なく楽しめるのが歌舞伎の魅力の一つ。『廓文章』、通称『吉田屋』も、そんな演目だろう。 舞台は大坂・新町の廓。全盛を誇る太夫・扇屋夕霧の馴染みとして、2年前までここで豪遊していた藤屋伊左衛門が訪ねてきた。勘当され、すっかり落ちぶれた伊左衛門は「ひと目恋人の顔を」とやって来たが||。 紙衣一重に編笠という零落した姿で、かつての輝くような面影が消えてしまった若旦那。紙衣とは和紙を貼り合わせた粗末な着物のことで、舞台で伊左衛門が着る紙衣衣裳は、これを美しく様式化したもの。黒と古代紫を配色し、黒地の部分には「恋しく」「思い参らせ候」「かしく」などと、遊女が客に送った恋文の切れ端が金糸銀糸で縫い取られている。 昔の恩を忘れない吉田屋主人・喜左衛門夫婦の優しい心遣いで中に招かれ、久々に夕霧に会えることになった伊左衛門。そわそわと落ち着かない様子で恋しい女を待つ姿は可愛らしく、笑いを誘う。せっかく再会しても、恋人たちがつい痴話喧嘩をしてしまう場面もほほえましい。頼りなく弱々しく、駄々をこねても、ふてくされても、愛らしい。やわらかく優くるわわごと江戸の荒事と対極をなす優美な和事。遊蕩三昧のボンボンと廓のスターが織りなす、上方の初春狂言『吉田屋』くるわぶんしょうolumnText by Fumiko KAWAZOEIllustration by Reiko OHBA(TOSHOYA)17廓文章ふじ屋伊左衛門=二代目 片岡我童扇屋夕霧=三代目 岩井粂三郎嘉永7年(1854年)三代目 歌川豊國(初代 國貞)画早稲田大学坪内博士記念演劇博物館所蔵近松門左衛門作『夕霧阿波鳴渡』の一場面を基に脚色した通称・吉田屋。伊左衛門役は、元禄上方歌舞伎を代表する初代坂田藤十郎(1647~1709年)が得意とし、延宝6年(1678年)、夕霧を追善した『夕霧名残の正月』の「やつし」の芸で名を上げて以来、女性的でやわらかな芸風「和事」の代表的な役の一つとして今に伝えられている。1“Kabuki”a sense of beauty
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