SIGNATURE 2019 3月号
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 私は教会を案内してくれたコーディネーターに訊いた。 「サンタ・マリア・ダル・マル教会は船乗りたちの教会だからです。船の守り神として長く愛され続けているんです」――やはり……。 と私は思った。 そのことを知って、私は教会のあちこちに寄贈、祈願して飾られているさまざまな船のレプリカを見て回った。 古い舟もあれば、モダンなクルーザーもあった。漁船もあれば、客船、貨物船、タンカー……と時代をさかのぼる船の美術館のように思えた。 そうして最後に中央の祭壇を見上げると、天井の見事な高さとロマネスクとゴシックが融合した素晴らしい内部に、尊厳ささえ感じた。 何百年という時間、この教会で船乗りとその家族が無事を願って祈りを捧げた姿が浮かんだ。 私が初めて船に乗ったのは赤児の時だそうである。父は赤児の私を抱いて、海を見せたというが記憶にはない。 父は船が好きだった。故国から日本に渡った時、故郷の村を出て三日三晩山中を歩き、釜山の港に着いた。十三歳の時だそうだ。 日本に渡り、一人立ちし、家族を持ち、三十歳の後半で船を手に入れ、瀬戸内海で貨物の航行をした。船で故郷に帰ることが夢であったようだ。だが長く国交がなかった。 私は少年であった時、父に尋ねたことがあった。 「お父やんの生まれた所までは遠いの?」 父は私の目を見て、ニヤリと笑った。 「なーに潮さえよければ一晩で着くぞ」 「一晩?」 少年の私は目を丸くして父を見返した。 父が船会社の事業をやめたのは、弟が海難事故で亡くなった数年後だった。その折の父の背中が淋しく見えたのを覚えている。は、彼等の中に何か一本の骨というか、心身を貫いているものが見えることだ。それが何なのか、私にはわからない。 彼等は神の存在を疑わない。星がそこに在るように最初から存在しているのだろう。私は長く無神論の本を読んで来た。無神論を肯定している時期もあった。若かったのだろう。今は、その存在をおぼろであるが信じており、少しずつ神の存在が色濃くもなっている。 サンタ・マリア・ダル・マル教会のことで、この春わかったことがあった。 バルセロナの街を訪れる度に、私はサンタ・マリア・ダル・マル教会に出かけた。 この教会の隅に、一人腰を掛けていると、なぜか気持ちが落着いた。私はキリストを信仰する者ではないが、家人とその親戚は全員信仰者である。私の友人にも信仰者が多い。 信仰する人々を見て感じるの 教会を建てる基礎となる石が、バルセロナから車で北へ一時間行った場所に聳える山、モンセラットの石が使用され、麓の河から大勢の人が運んで来たという。この教会は王や貴族が建てたものではなく、庶民たちが自分たちの手で造ったバシリカということだ。 モンセラットは信仰の象徴として有名な険しい山である、山の形状もユニークで、山頂に近い修道院の一角に〝黒いマリア〞があり、奇跡を起こすマリアとして、スペイン中から人々が押し寄せる。私と家人は、彼女の両親の病気の快復を祈りに二度ばかり訪れた。マリアはその能力を私たちに与えてくれて、両親は長く生きてくれた。 少年の日、春の水天宮の祭りで、御堂の中にあった船の模型と、絵馬に描かれた嵐の海を舳先で合掌する女神の姿を父と二人で仰ぎ見た。その時父は言った。 あれが海の守り神様じゃ。 少年の私が神を見た初めての夜だったのだろうか。そび 6一九五〇年山口県防府市生まれ。八一年、文壇にデビュー。小説に『乳房』『受け月』『機関車先生』『ごろごろ』『羊の目』『少年譜』『星月夜』『お父やんとオジさん』『いねむり先生』など。エッセイに美術紀行『美の旅人』シリーズ、本連載をまとめた『旅だから出逢えた言葉』(小学館)などがある。新刊に『琥珀の夢 小説 鳥井信治郎』(上下巻・集英社)、『文字に美はありや』(文藝春秋)、『日傘を差す女』(文藝春秋)。最新刊に、累計百八十五万部を突破した国民的ベストセラー「大人の流儀」シリーズ8『誰かを幸せにするために』(講談社)がある。切り込み写真:サンタ・マリア・ダル・マル教会の門に刻まれた、石材を担ぐバスターシュ(荷受け労働者)の像。写真:SIME/アフロShizuka IjuinBasílica de Santa María del Mar, BarcelonaNumber 120伊集院 静

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