め 5文・写真・宮澤正明伊集院静花見は、己だけが愛でるものではない 桜が苦手である。 美しいとは思うが、わざわざ見物に出かけることはない。 苦手な理由は、少年の頃、桜の開花時に好ましくないことが起きたからだろう。 ひとつは家族と我ヶ家で働いてくれている家族と、生家のある町から車で数時間かけて、岩国という町にある錦帯橋という太鼓橋が架かる河原に桜の花見に出かけ、そこで我ヶ家の若衆と地元の酔客が派手な喧嘩をはじめて、花見は台無しになり、事がおさまるまで子供たちは長い時間待たされ、その折、美しく咲いている桜を見つめて、こんな花木があるからイケナイんだ、と思った。 その数年後、小学校の校庭の塀沿いに何本か植えられてあった桜の木に悪ガキたちと登って遊んでいた。誰やら偉い人からの寄贈の学校が大切にしていた木だった。毎年、卒業式に訪れる父兄もこの見事な桜を誉め、この下で記念写真を撮ることが恒例になっていた。だから勿論、木に登ることは禁じられていた。 田舎の子供たちにとって木登りは数ある遊びの中でも、極上に入る遊びである。 春休みの午後、塀を乗り越え校庭に入り、皆して競い合うようにして木に登った。桜木というのは若木の時は脂分もあって手が滑るが、その分幹はゴツゴツして登るのにそう難しくない。ところが古木になると、脂分も失せて木肌は摑み易いが、虫喰いにあって幹の中が腐蝕していたりする。 子供たちは誰より早く一番上へたどり着きたいから必死で幹を抱き、枝を摑んで上を目指す。私も木つか登りは得意だったのでがむしゃらに登った。どうやら一番乗りだ、と胸を張ろうとした時、校舎からこちらにむかって大声を上げて走って来る人の姿が見えた。 「コラッ、おまえたち何をしとるんだ。すぐに降りんか」 見ると教頭先生だった。逃げろと皆が口にし次から次に木を降りはじめたが、私はあまりに上まで登り過ぎていて、下へ行こうにも手と足にかかるものが見つけられなかった。隣りの老木が伸びて来ているのを見つけ、エイッーとばかり飛び移った。やや太い枝を両手で摑んだ。ところが鈍い音を立てて枝がたわみ、スローモーションのようにゆっくり下降し、続いて木の割れる音がした。 目覚めると視線の中に教頭の顔があった。Text by Shizuka IJUINPhotograph by Masaaki MIYAZAWA
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