SIGNATURE 2019 4月号
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海岸線に眠る謎の古代王国・リキア 雲ひとつない空から、矢のように降り注ぐ陽光が地中海の紺碧の水面に反射する。沿道には弾けんばかりの真っ赤なザクロがたわわに実り、豊満な果実が枝に下がっている。陽射しは眼を細めるほど力強いが、柔らかな風のおかげで身体がほぐれるような心地よさを誘う。 トルコの玄関口となるイスタンブルから南へ1時間も飛べば、そこはもう地中海だ。リゾート地の表玄関となるアンタルヤから、セーリングの聖地・フェティエまでの海に突き出た約500キロにおよぶ風光明媚な半島は、ヨーロッパ各地から多くの人が訪れる魅惑のリゾートだ。同時に、アジア大陸とヨーロッパ大陸にまたがる特異な地理条件ゆえに残された、歴史の中の文化変容が今も刻まれている。特に紀元前5世紀から紀元4世紀にかけてのヘレニズム時代からローマ時代までの間に建造された多くの遺跡群が、訪れる者を驚かせ、そして魅了する。 古代アナトリア南沿岸部に位置するこの半島一帯は、「リキア」と呼ばれた独自の言語を用いて暮らす、複数からなる都市国家の連合体地域が存在した。南の海岸部は良港に恵まれていたが、北方内陸には3000メートル級の山々が連なり、交通が容易ではなかった地形のため、古来、孤立しがちな土地柄だった。それゆえにリキア人独自の気風を有し、閉鎖的で極めて誇り高く、他国人を拒否し続けてきたという。しかし、記録がほとんど文書化されていないため、リキア人は古典古代で最も謎めいた民族のひとつといわれる。そんなリキア人の武勇伝は、数々の古代史の中で語られている。紀元前1285年頃の世界で初めて公式な軍事記録が残された戦闘『カデシュの戦い』では、ヒッタイト側の援軍として加わり、紀元前1200年頃のトロイアの戦争では、トロイアの同盟国として戦った。ホメロスの叙事詩『イリアス』にも「リキアからサルペドンと英雄・グラウコス率いるリキア軍が到来した」と書かれている。また、ギリシャ神話にもたびたび登場するなど、その時代ではかなり名を馳せていたことが窺える史料が残されている。ギリシャの植民地時代32

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