キアの首都として機能していた場所。7世紀のアラブ人の侵略まで、破壊と再建を繰り返した。現在は大規模な都市遺跡として近隣のレトゥーン神殿跡とともに世界遺産に登録されている。 クサントスの広大な遺跡内には、ギリシャ時代に建設され、ローマ時代に増築された円形劇場、ローマ時代の大通り、貯水槽や水道管跡が残るアクロポリス、リキアのネクロポリス、モザイクの床が残るビザンチン教会跡などの古代都市の面影が色濃く残っている。クサントスのシンボルとも呼べる高さ8メートルほどある塔墓は、紀元前5世紀のクサントスの統領の墓だとされている。トップには、ギリシャ神話で上半身が女性で下半身が鳥のハルピュイアのレリーフが描かれている。しかし19世紀半ば、このレリーフに芸術的価値を見出したイギリス人考古学者、チャールズ・フェローズ卿によって持ち去られ、レリーフのオリジナルは大英博物館に展示されている。 ギリシャ神話によると、ハルピュイアの子供で海を司る神・ポセイドンの馬だったクサントスという不死の神馬がいた。海の民とも語られるリキア人の中心都市として機能していたクサントスの名が神馬由来ならば、統領の墓に母・ハルピュイアを描くのもうなずける。遺跡群を見学しながら、いつの間にか古代リキアの謎解きに夢中になっている。 クサントスから5キロほどのところにあるレトゥーンは、紀元前7世紀から存在するリキアの聖域だ。ここには女神・レト、ゼウスとレトの間に生まれた双子のアポロンとアルテミスに捧げられた神殿跡がある。世界遺産とはいえ、修復はあまり進んでいないようだが、朽ちた神殿からかえって時の長さを感じ取れる。その他、ギリシャ時代の立派な劇場、ローマ時代の泉の神殿跡も見られる。またこの場所からはリキア語とギリシャ語、アラム語で記された石柱が発見された。それはここが、ヘレニズムとオリエントの十字路であった証拠とも取れるだろう。クサントスとレトゥーンはリキア、ヘレニズム、ローマ、ビザンチンと、東地中海を舞台にした宗教と文化の貴重な史料なのだ。 かつてテルメッソスと呼ばれたリキアの西端の街・フェティエも、白砂のビーチがヨーロピアンを惹きつける魅惑のリゾート地。街に入る丘の上から見る湾のパノラマは昼も夜も素晴らしい。その背景をなす岩山には、家型や神殿型に形成された磨崖墓群が残っている。なかにはイオニア風のファサードを持つ墓もあり、トルコ・エーゲ海沿岸の影響も窺える。また、フェティエの考古学博物館は、周辺で発掘された紀元前3000年からビザンチンまでの至宝を展示する、リキアを知るには欠かせない施設だ。建物は簡素で小さいながらも、レトゥーンで発見された3か国語で記述された石碑のオリジナルやリキアの銀貨をはじめ、重要文化財が展示されている。「リキア人は滅亡したわけではありません。さまざまな時代を生き抜き歴史の中で混ざり合っても、文化や文明の欠片は私たちの暮らしに息づいているのです。たとえば女性に頭が上がらないのは、かつての母権制の名残でしょう」。学芸員スタッフは冗談を交えながらも熱心に話してくれた。リキア人は母方の名を名乗り、母方の身分で子供の身分が判断された。相続権も娘に与えられたそうだ。 フェティエ湾の西沿岸にもリキア遺跡が多く点在するが、海からアプローチするしか方法はない。ここでは気軽にヨットをチャーターし、日帰りから数週間のクルージングを安値で楽しめるのだ。フェティエ湾の西端に位置する「隠れた楽園」とも称されるギョジェクのハーバーから凪いだ海を滑るように進み、船上からリキアやビザンチンの遺跡を巡る。日差しが強くなってきたら、遺跡見学もそこそこに、入江に係留しエメラルドグリーンの澄んだ海に飛び込んでクールダウン。クレオパトラに献上されたという、海に半分沈んだ浴場跡で泳げば5歳若返るそうだ。ミネラルやカルシウム、マグネシウム成分が肌を潤わせ、クレオパトラの美貌に一役買っていたという。ならばここに数日、ヨットを係留していただきたいくらいである。海から戻るとクルーが昼食の準備に取りかかっていた。魚の炭焼きの香ばしい匂いがたまらない。食後はデイベッドに横たわり、地中海をなでる風を受けながら昼寝なんて、この上ない贅沢だ。そんな非日常的体験を簡単に味わわせてくれるのも、南トルコの大きな魅力だろう。38フェティエリキアの主要都市のひとつであるフェティエ。1957年の大地震で多くの遺跡が崩壊し、岩肌に彫られた磨崖墓だけが今も地中海とフェティエの街を見下ろしている。Fethiye( Telmessus )
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