第三章ダルヤン河畔を彩る葬礼美術隣国に波及したリキア文明 かつてリキアと双璧をなした西隣、エーゲ海に面するカリア王国もまた、古い歴史を持ち、リキア同様に独自の言語と文字が使われていた。両王国の境を流れるダルヤン川の西岸に位置するカリアの主要都市だったカウノスは、天然の良好な地形を港に活かし、海上貿易の拠点として繁栄したといわれる。 そんな川沿いの岩肌には、リキア同様の神殿風の磨崖墓群が見られる。周辺には岩をくり貫いただけの簡素なものを含めて、150もの墓が点在するという。このことからも、土着の習俗や建築様式など、同質の文化圏だったことが理解できる。しかし、リキアのそれに比べて彫刻が細かく美しく、円柱の柱頭はイオニア様式が用いられている。これはフェティエの磨崖墓に等しく、カリアの北西に隣接するイオニア地方の影響を受けていることが窺える。また最も大きな磨崖墓は未完成のまま、4本の円柱の上の方しか彫られていない。これを見ると、崖の上からロープにぶら下がって彫刻していたと推測できる。そんな古の墓づくりの過程が見られるのも興味深い。 磨崖墓が並ぶ岩のたもとから、ザクロ畑が続くトルコらしい牧歌的風景の中を通り、緩やかな坂をしばらく歩いた見晴らしのよい高台に、カウノスの古代都市遺跡がある。ここには紀元前9世紀からいしにえ40カウノス15世紀にわたり人々が暮らしていた。カリアの古代都市・カウノスはヘレニズム、ローマ時代に交易都市として栄えた。山の上にはアクロポリスと古代ローマの神殿や劇場の遺跡がある。Kaunos
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