SIGNATURE 2019 4月号
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旅先でこころに残った  言葉一二一桜のある場所 翌日、母が学校に呼ばれ、大目玉をくらった。しばらく罰で放課後、一人で掃除をさせられた。皆が校庭で遊んでいる姿を見ながらそのむこうに咲いている桜木が目に入り、あんな木があるからだと文句を言っていた。 このふたつの出来事が、少年を桜嫌いにさせたのかもしれない。 大学の野球部の寮が埼玉の新座、野火止にあり、毎朝、近くの平林寺までランニングをした。そこの山門に見事な桜木があったが、練習に夢中だったからわずかな記憶しかない。 三十歳のなかば、少しの間、京都に住んだ時、桜の季節、古都が賑わった。その間、ひどく街中の道が混雑し、――桜のせいで、こんなに道路がノロノロじゃしょうがないナ。まったく……。 どうも桜と相性が良くなかった。味が悪かった。 ヨーロッパの美術館を巡る旅をして、南プロバンス、アルルにゴッホの軌跡を訪ねた時、彼が入院したサン・レミの病院へむかう道で、花をつけている木を見つけて、思わず、 「こんな所に桜が」 と声を上げ、桜を描いたゴッホの作品があった気がした。 近づいてみると、それはアーモンドの木であった。花に顔を寄せると何とも言えない甘い香りがした。 ゴッホが入っていた病院の窓から、春の風に穂を揺らす蒲に似た草木が陽差しにかがやいていた。 画家は精神に不調をきたしていたが、彼が描いた 衹園、円山公園の枝垂れ桜を夜見た時も何やら気のびとめ作品はどれもまぶしく、明るく映った。精神の不安とキャンバスに描かれる色調、光、タッチの関りはよくわからないが、ゴッホは希望を抱きたいのではと思った。――ゴッホはアーモンドの花を見つけ、あのかぐわしい香りに触れたのだろうか? そうして彼がほんの一瞬でも微笑んでいたら良かっただろう、と思った。 八年前、東日本大震災に私は仙台で遭遇した。ひどい災害だった。我ヶ家も家屋が半壊する被害にあったが、それ以上に知人の中の何人かに犠牲者が出て、行方不明の家族を探している人たちにどう声を掛けてよいのか戸惑った。 一年が過ぎ、東北の各所の桜木が花を咲かせた。 世間の風潮として、こんな時に花見をするのは不謹慎だという声が強かった。 その時、私は一人の僧侶の言葉を思い出した。 「先に逝った人々は生きている人たちのことを思っているのです。供養の折、暗くしてはダメです。故人を思って酒を酌み交わすくらいの方が自然なのです」 そのことを連載していた週刊誌のエッセイに書いた。 少なからず反響があり、読者から手紙、葉書を頂戴した。 その中に、一文があった。 「私には五人の友がありました。今は三人で花見をしています。そうして桜の木の下で花を見上げながら、先に逝った友があんなふうな表情で、こんなことを言ってた、と残った友と語りながら愉しんでいます。〝花見は己だけが愛でるものではない〞とつくづく思った春でした」 読者の皆さんは、今春どこで、どんな心境で花見をしているのでしょうか。6一九五〇年山口県防府市生まれ。 八一年、文壇にデビュー。 小説に『乳房』『受け月』『機関車先生』『ごろごろ』『羊の目』『少年譜』『星月夜』『お父やんとオジさん』『いねむり先生』など。 エッセイに美術紀行『美の旅人』シリーズ、本連載をまとめた『旅だから出逢えた言葉』(小学館)などがある。 新刊に『琥珀の夢 小説 鳥井信治郎』(上下巻・集英社)、『文字に美はありや』(文藝春秋)、『日傘を差す女』(文藝春秋)。 最新刊に、累計百八十五万部を突破した国民的ベストセラー「大人の流儀」シリーズ8『誰かを幸せにするために』(講談社)がある。Shizuka IjuinCherry blossomsNumber 121伊集院 静

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