日本酒コンペティションへの「若手奨励賞」の提供や、投資型クラウドファンディングのクレジットカード決済など、次世代へのサポートを積極的に進めているダイナースクラブ――。大学ラグビーに協賛するプロジェクトもまた、その取り組みの一環だ。ラグビーワールドカップという一大イベントが間近に迫ったラグビー界で、学生時代から確固たるキャリアを積み、文字どおり世界を肌で知る吉田義人氏に、大学ラグビーの未来像を伺った。 写真・岡村昌宏 文・藤島大 拍手が違う。往年のラジオの名ディレクターがそう言った。「音のプロ」にはわかるらしい。 大学ラグビーの観客が手を叩くと響きがまとわりつく、というか粘る。いわく「母校やひいきを切実に応援するため、てのひらが湿っているから」。 きっと白雲なびく駿河台に青春を送った老若男女もそうだったろう。 新年12日。東京・秩父宮ラグビー場のスタンドに湿った拍手はやまなかった。明治大学、なんと22シーズンぶりの全国制覇。22対17、接戦であるからこその大勝利だ。 よき敗者たる天理大学の胸打つ充実もあって、あらためて学生ラグビーの魅力は伝わった。 かつて明治の紫紺と白のジャージィ五 「た郎ケ。ン思丸カいの出歩強しいま男すが。好きだったんですックスとぶつかる世界選抜に呼ばれ、プロの先駆としてフランスへ渡った。低迷にあえぐ母校の監督を2009年度から4季務め、4強へ導いている。 先に記しておくが、世界を知るこの人、出身大学の栄冠くらいでは簡単に心動かされない。たぶん冷静に見つめている。大学ラグビーの価値は? その世代の将来は? 語ってもらった。――明治の優勝、どう見ました。 「(関東大学)対抗戦の早稲田、慶應に学んだのが大きかった。接戦を落として選手の意識が変わった。早慶とは肩を組んで強くなっていくようなところがあります。ファンにとってはおもしろかったのでは」――大学時代、あの北島忠治監督が、吉田義人のリーダーシップに惚れ込んで3年なのにキャプテンに選ぼうとしよ、北島忠治監督は。私、めちゃくちゃ強かったですから。でも」――でも? 「大学3年の練習試合で乱闘になって数人を相手にガツーンと。そうしたらファンの人から手紙が届いて『ラグビーは品格のスポーツ。伝統ある明治の選手、ラグビー界を背負って立つ人のああいう姿は見たくありません』と」――ありがたいファン。 「ええ。母校愛ですよね。そのとおりだと思い、以後、絶対にしない。1994年、日本代表の台湾戦で試合が荒れた。私はライン際にとどまって加わらない。すると背後のベンチから台湾の選手が駆け出してきて無防備の私の背中に跳び蹴り。それで負傷退場です」――4年でキャプテン。大学日本一。さらに日本代表のエースに。91年のラグビーワールドカップ、敵地のアイルランド戦ではマークをきれいに外に抜き去って、語り草のトライにつなげた。2019年1月12日、秩父宮ラグビー場「第55回全国大学ラグビー選手権」決勝。明治大学が天理大学を22-17で下し、22季ぶり13回目の優勝を飾った。写真:日刊スポーツ/アフロ591987年12月6日、東京・国立競技場「ラグビー関東大学対抗戦」早稲田大学vs明治大学。伝説となった雪の早明戦で、前半20分、同点トライを挙げる明大1年時の吉田義人。写真:報知新聞/アフロPortrait photo by Masahiro OKAMURA (CROSSOVER)Text by Dai FUJISHIMA未今 左うを吉エウまを来ー田イとス義いンは変が、人グい球。、え変49たそを。れ抱歳わな。えど日るこけら本ろた代かびれな表オにのー興いば絶奮ル対ブを、ラ誘の
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