なによりも人としての成長。自分たちが何をしなければならないのか、明確なこころが必要吉田義人 「英国やアイルランドの芝は深い。湿っていることも多い。そう聞いて(東京・世田谷の)砧公園の芝の深い秘密のスポットでイメージをつくるためのトレーニングをしました。日本のグラウンドの多くは土だったので。さらにゴムのチューブを持参、大会期間中もホテルのベッドにくくりつけて脚の筋力を鍛えた」――アマチュア時代からプロのように体を鍛え、整えた。いまも素質のある大学生はいる。どうすれば吉田義人になれますか? 「私は特殊というか人間の知力を持ったケモノでしたから」きぬた――えっ、ケモノ? 「(故郷の秋田県男鹿市の)寒風山の森に入って鍛え、体をケモノにしてきたので。だから人間には捕まらない。ただ、現在の若い世代の身体能力は上がっている。環境さえあれば世界に通じる可能性はあります」――海外のクラブには10代の才能も途切れない。そう考えると日本の大学ラグビーは遠回りなのでしょうか。 「大学ラグビーから、その時点で、ただちに世界のトップに通じる選手は出ません。逃げ場のないプロとは違う。しかし人は育つ。テレビ中継などで外から評価される。なまけたら恥ずかしい姿が露呈する。そこで目標に向かって自分自身の弱さを克服する。学生の生き方に多くの人が感動する。そのことがまた人間を成長させる。大学ラグビーにも選手を伸ばす効果はある」 現在、スクール運営、解説など幅広く活動を続ける。「ワールドカップの頂点をまっすぐめざす者はプロフェッショナルの養成へ。大学、企業でラグビーを続ける者は伝統的価値を大切にする。ふたつ選択肢があってよい」。胸板いまだ厚し、ケモノの片鱗をちらり残しつつ、走りながら考える人は案を述べた。602016年、日本スポーツ教育アカデミーを設立。7人制ラグビー「サムライセブン」の監督をはじめ、キッズやジュニアの育成に携わる。写真提供:吉田義人事務所1991年10月14日、北アイルランド・ベルファスト「ラグビーワールドカップ1991」1次リーグ・プールB。ジンバブエ戦で2トライを挙げ日本代表のW杯初勝利に貢献。写真:PRESSE SPORTS/アフロよしだ よしひと|1969年、秋田県出身。秋田工業高校、明治大学主将として共に全国優勝。19歳で日本代表入り。世界の15人に3度選抜され、オールブラックス戦でのダイビングトライは世界ラグビー史上伝説となる。筑波大学大学院にてスポーツ教育を学び修士号取得。31歳で渡仏し日本人初の1部リーグプロラグビー選手となる。現役引退後、横河電機ヘッドコーチとして全勝優勝でトップリーグに昇格。その後明治大学ラグビー部監督就任、14年ぶり対抗戦優勝を果たす。現在、日本スポーツ教育アカデミー理事長。ラグビーワールドカップ2019、2020年東京オリンピックに向けて青少年の人材育成、7人制ラグビーチームの普及活動を行う。https://yoshihitoyoshida.comJRFU(日本ラグビーフットボール協会) https://www.rugby-japan.jpダイナースクラブは大学ラグビーを応援しています
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