「人類の進歩と調和」をテーマに掲げたこの万博は、元は1970年(昭和45年)、当時、博覧会史上最大規模を誇った大阪万博を撮っている。写真右奥の上空に巨大な屋根が見える。ただの屋根ではない。当時世界中の建築家が夢想した空中都市を展示空間として実現したのだ。この大屋根を岡本太郎「太陽の塔」が突き抜いた。会場全体を未来都市として計画された。石元の写真の多くは、目の前の色鮮やかな未来の姿とは裏腹に、白と黒に抽象化され、廃墟のように撮影されている。彼の眼には、明るい未来だけが映っていたのではないのだろうと想像してしまう。 大阪万博は、丹下健三を中心に、国際的に知られている日本の建築運動「メタボリズム」を推進した国内外で活躍する菊竹清訓、黒川紀章、磯崎新らだ。メタボリズムとは医学用語で新陳代謝を意味する。彼らは、急速に変化する都市が孕む問題に革新的な提案で挑んだ。メタボリズムの中心的存在であった菊竹は、海洋国日本の未来の可能性は海にあると説き、1960年(昭和35年)、世界の建築家、デザイナー227名が集った「世界デザイン会議」で海上に浮かぶ都市を提案。建築界の寵児となった。その提案は、1975年(昭和50年)、沖縄返還を記念して開催された沖縄国際海洋博覧会メインパビリオン「アクアポリス」として実現する。石元はこの世界初の海上実験都市の撮影を依頼される。 写真の主役はいうまでもなく海に浮かぶ構造物だ。しかし、この写真の大半は海が占めている。息を呑むほどに美しい海。戦時中、多くの犠牲の舞台となったことを想像することすらできないほどに澄み渡っている。日米の狭間で戦時中を生き、大阪万博開催の前年に日本国籍を取得した石元の眼に、この海はどのように映っていたのであろうか。きよのり大阪太陽の塔と月の石58《日本万国博覧会1970》(大阪万博)1970年頃撮影会期:1970年3月15日~9月13日(183日間)高知県立美術館蔵30〜40代の若き建築家たちが携わっていた。その後、石
元のページ ../index.html#54