SIGNATURE 2019 6月号
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人Nakamura Kichiemon ll 時    る二代目中村吉右衛門。舞台で演じる人物に「理想の上司」「理想のリーダー」の姿を重ねる観客も、少なくない。 「大きな決断を迫られる中で配下を率いていく役の第一と言えば《仮名手本忠臣蔵》の大星由良之助でしょう。置かれた環境も意見も異なる浪士一人一人と向き合い、まとめ上げ、おそらくは金銭的な苦労もあったことと思います。そんな中で敵を油断させて見事に討ち入りを果たした由良之助は、演じる役者の〝肚〞で人物像が決まる、難しいですが好きな役の一つです」 歌舞伎芝居のモチーフとなる刃傷や討ち入り、切腹、我が子を犠牲にして首を差し出すといった状況は、21世紀の私たちにとって日常ではまずあり得ない。それでも観客が物語の世界に入り込み、主人公に共感することができるのは何ゆえなのだろうか。 「歌舞伎が生まれた江戸時代だって、人を殺したり仇を討ったりという出来事はめったに起こらなかったはずです。むしろ平和な時代だったからこそこういう芝居が作られた、平和な時代でないと文化は育たないとも言えるのではないでしょうか。たとえば《菅原伝授手習鑑寺子屋》では、若君の命を救うために松王丸は我が子を犠牲にします。我が子の首を若君のものと偽る、追い詰められた異常な状況を演じるのは大変なことですが、お客様は芝居の中の出来事としてご覧に代物義太夫狂言の第一人者として、歴史上の英雄の数々を当り役とすにんじょうすがわらでんじゅてならいかがみはらいちのたにふたばぐんき へいけにょごのしまつき ばんずいちょうべえなり、松王丸の親としての気持ちに心を寄せてくださるのだと思います」 舞台に立つ上で常に追い続けているのは実の祖父であり養父である初代の芸だ。明治、大正、昭和にかけて歌舞伎界を牽引した初代中村吉右衛門は、一代でその名を高めた名優であった。 「役者というものは残念なことに同じ時代に生きていないとその芝居に触れることはできず、いなくなったら忘れられていく運命にあります。跡継ぎの私が申しますのもおかしいですが、忘れられてしまうには惜しい初代の芸が、私のいなくなった後も次の世代に受け継がれていくようにとの願いから始まったのが『秀山祭九月大歌舞伎』です」 初代吉右衛門の功績を顕彰し、その芸を継承することを目的として平成18年(2006年)にスタートした『秀山祭』。公演を重ねる中で毎年の歌舞伎公演として定着し今では9月の〝季語〞にもなっている。 「ドイツ文学者の小宮豊隆先生はかつて初代を〝型に魂を入れた人物〞と評していらっしゃいます。人物像を掘り下げ、深め、表現するのは簡単なことではありませんが、『秀山祭』を通して初代が目指した演劇としての高みに少しでも近づき、多くの方に『初代はこういう役者だったのだな』と知っていただければありがたいですね」 《一谷嫩軍記熊谷陣屋》の熊谷次郎直実、《平家女護島俊寛》の俊寛僧都、《極付幡随長兵衛》の幡随院長兵衛など、そうずきわめ何度となく演じてきた役も、舞台に立つたびに発見があり、新しい工夫を加えることも少なくないという。芝居の道に、到達点はないのだろうか。 「山を越えたらその先にもっと大きな山があった、という感じでしょうか。頂上は雲に隠れてまだ見えません。それでも少しでも上へと登っていきたいですし、下りたくはないですね(笑)。富士山が遠いところからでも見えるように、多くのお客様にご覧いただくためには、より高い山を目指さなければならないと思っています」 プライベートな時間でも、思いを馳せるのは芝居のこと。 「よいお芝居や音楽に触れても、つい自分ならどうするか、歌舞伎ならどう表現できるか……と考えてしまいます。ディズニーランドでもショーのライティングに注目してしまったり、純粋な観客としては楽しめていないのかもしれません。それでも、オペラは好きですので時間があれば劇場に足を運びます。いつかパリのオペラ座やミラノのスカラ座で《俊寛》を上演したいという夢も抱いております」 この5月の歌舞伎座では、尾上菊之助と四女の瓔子さんとの間に生まれた孫、寺嶋和史の七代目尾上丑之助初舞台披露の《絵本牛若丸》に出演している。 「孫と芝居ができるのは何より幸せなこと。まだ5歳ですのでどのくらい記憶に残るかわかりませんが、一緒の舞台を少しでも覚えていてほしいですね。秀山祭でも共演できたらと願っています」no.1493にだいめ なかむら きちえもん|昭和19年(1944年)、東京生まれ。八代目 松本幸四郎(初代 白鸚)の次男。母方の祖父である初代 中村吉右衛門の養子となる。昭和23年(1948年)6月、東京劇場《俎板長兵衛》の長松ほかで中村萬之助を名乗り初舞台。昭和41年(1966年)10月、帝国劇場《金閣寺》の此下東吉ほかで二代目 中村吉右衛門を襲名。歌舞伎界を代表する俳優の一人として、時代物から世話物まで数多くの当り役を持つ。日本芸術院会員、重要無形文化財(人間国宝)、文化功労者。SignatureInterview

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