SIGNATURE 2019 6月号
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ひきまどかごつるべさとのえいざめくるまびきだてくらべいせものがたりいちじょうおおくらものがたりきわめつきさかろそうずときはいまききょうのはたあげすみだがわごにちのおもかげめいぼくせんだいはぎ秀山祭という文化写真・鍋島徳恭 文・小玉祥子写真提供:松竹株式会社 「秀山祭」とは、明治から昭和までの歌舞伎界を代表する名優であった初代吉右衛門の芝居への姿勢と優れた演出をたたえ、ゆかりの芸の研鑽と伝承を中心に据えた興行である。当代吉右衛門を柱に、初代吉右衛門生誕百二十年の平成18年(2006年)9月に歌舞伎座で始まった。「秀山」は初代の俳名で、9月は初代の祥月である。 歌舞伎座には明治の名優・九代目市川團十郎、五代目尾上菊五郎を顕彰する「團菊祭」が5月にあるが、単独の俳優の名を掲げての興行は珍しい。そして今では「秀山祭」も歌舞伎座の行事としてすっかり定着した。 吉右衛門の「秀山祭」にかける思いは並大抵ではない。「生きがいなんてものじゃなくて、生きている理由です」と口にするほどだ。この興行で、吉右衛門は初代以来の当り役や大役を数多く演じてきた。 始まりの年は《引窓》の南与兵衛、《寺子屋》の武部源蔵、《籠釣瓶花街酔醒》の佐野次郎左衛門の三役を勤めた。平成19年(2007年)は《熊谷陣屋》の熊谷直実、《二條城の清正》の加藤清正、平成20年(2008年)は《逆櫓》の船頭松右衛門実は樋口次郎兼光、《盛綱陣屋》の佐々木盛綱、《河内山》の河内山宗俊。歌舞伎座の「さよなら公演」の間は休み、建て替え期間で閉場中は、新橋演舞場に場を移して興行は続けられた。平成22年(2010年)は《沼津》の呉服屋十兵衛、《俊寛》の俊寛僧都、平成23年(2011年)は《寺子屋》と《車引》の松王丸、平成24年(2012年)は《寺子屋》の松王丸、《河内山》の河内山宗俊、《時今也桔梗旗揚》の武智光秀を演じた。 新開場後は再び歌舞伎座に戻り、平成26年(2014年)は《隅田川続俤》の法界坊、《絵本太功記尼ヶ崎閑居の場》の武智光秀、平成27年(2015年)は《競伊勢物語》の紀有常、 《伽羅先代萩》の仁木弾正、平成28年(2016年)は《一條大蔵譚》の一條大蔵長成、《吉野川》の大判事清澄、平成29年(2017年)は《極付幡随長兵衛》の幡随初代の生誕百二十年にはじまる秀山祭の歩み播磨屋の系譜130昭和28年(1953年)11月、歌舞伎座《近江源氏先陣館 盛綱陣屋》佐々木盛綱(初代 吉右衛門)と小四郎=萬之助(当代 吉右衛門)写真提供:松竹株式会社平成20年(2008年)9月、歌舞伎座「歌舞伎座百二十年 秀山祭九月大歌舞伎」夜の部《近江源氏先陣館 盛綱陣屋》佐々木盛綱=吉右衛門と小四郎=中村宜生(現・歌之助)

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