せりふまちやっこくぎょうすきや院長兵衛、《逆櫓》の松右衛門、平成《俊寛》の俊寛を勤めた。 歌舞伎演目には、大きく分けて江戸時代から見た過去の時代を扱う「時代物」と当時の現代劇に相当する「世話物」がある。初代も、その思いを受け継ぐ当代も、卓越した台詞術と役の真髄をとらえた演技で、どちらにも優れた力量を示している。であるから時代物、世話物がバランスよく上演されるのも「秀山祭」の魅力だ。 「秀山祭」で手掛けてきたのは、ひと役を演じるだけでも演技力に加えて気力、体力を必要とする大きく重い役ばかり。だが吉右衛門はそれを昼夜で二役、時には三役も演じてきた。「初代吉右衛門という素晴らしい役者がいたことを、見たことのない方たちにも知ってもらいたい」という強い思いからだ。初代は身を賭して、ひと役ひと役に打ち込む俳優であったといわれるが、当代もその姿勢を受け継いでいる。共演俳優たちにもその精神は伝わり、「秀山祭」の吉右衛門出演演目は、いつも行き届いた眼を感じさせる高密度な舞台となる。 時代物の《熊谷陣屋》《盛綱陣屋》《逆櫓》では、源平が争う時代に生きる武将の姿が臨場感をもって描かれ、《一條大蔵譚》では平家全盛の世に自身の英邁さを隠し、愚かな振りをして過ごさざるを得ない公卿の苦悩を見せた。 《俊寛》は平家打倒の謀議が露見して離島に流された僧の物語だが、吉右衛門はたったひとり島に残り、赦免船を見送った後の表情に、仏に救われたという解脱の思いを表した。その舞台には、初代の芸を学んだうえで、さらに深め、進化させようという姿勢がうかがえるが、その果実を最も豊かに味わえるのが「秀山祭」だと言えるだろう。 もう一方の世話物だが、こちらも実に幅広い。《法界坊》は悪事をすることにためらいのない破戒僧だが、愛嬌があって憎めない。吉右衛門のユーモアのセンスが舞台からこぼれ出る。《河内山》は江戸城で働くお数寄屋坊主だが、宮家のお使い僧に化けて大名家に乗り込む。吉右衛門が大名の前でも臆することがない河内山の名台詞を洒脱に聞かせる。《幡随長兵衛》の長兵衛は町奴の頭領。度胸があって剣術にも長け、大旗本に対峙し一歩も引かない。吉右衛門の大きな舞台ぶりが、人物の息遣いまで感じさせる。 「秀山祭」も14年目を迎える。今回はどんな演目が上演されるのか。期待は高まるばかりだ。 昭和23年(1948年)6月、東京劇場《御存俎板長兵衛》幡随院長兵衛=初代 吉右衛門と一子長松=中村萬之助(当代 吉右衛門)写真提供:松竹株式会社3130年(2018年)は《河内山》の河内山、平成29年(2017年)9月、歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」昼の部《極付 幡随長兵衛》幡随院長兵衛=吉右衛門
元のページ ../index.html#27