SIGNATURE 2019 6月号
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7 かれこれ三十年前、三年暮らした京都を去る時、馴染みになった衹園の鮨屋に挨拶に行ったことがあった。 「そうか、上京するか。本格的に仕事をするには東京の方がええかもしれん。いや、きっとええはずや」 路地の奥にあるちいさな店であったが、味も客も一流の店だった。 いささか私の気持ちの塩梅が悪くなると、その店に足がむいた。 「どうしたんやシケタ顔して? そんな顔してたら福の神が通り過ぎてまうぞ。ええ仕事は面白そうやな、と思う所へ来よるんや。やせ我慢でも笑ってなあかん」 辛口な言葉に、私はいつしか笑っていた。――今夜が最後になるかもしれない……。 そう思って飲んでいた。やがて時間になり、私は立ち上がって頭を下げた。 「長い間ありがとうございました」 「ありがとうなぞと言うな。わしは鮨を出しただけや。それと帰る前にひとつ言うとく。わしに便りを出してくれるな。便り、連絡がなかったら、わしはおまえさんが、どこぞでずっと元気にしとると思うとるから」 少し怒ったような言い方だった。 「わかりました」 路地を出ると、春の雨が降っていた。 濡れた石畳、映る提灯の灯り、眺めていて切なくなりそうだったが、鮨屋の主人を思い出し、春雨じゃ濡れて行こう、と笑って走り出した。 トモさんこと長友啓典氏が亡くなって三月で二年を迎えた。 三回忌はあらたまってやらず、それぞれの人がトモさんを偲んで、ゴルフ会をしたり、ちいさな展覧会を兼ねたパーティーをしたりしていはるさめた。 私は急遽、目の手術をせねばならなくなり、どちらの会にも参加できなかった。 人の死に対する感情は、相手との人づき合いのかたち、時間で変わるものである。家族、親戚でも違うし、家族でなくとも家族以上の思いがあるつき合いもあるだろう。 だから一人の人間の死は、つき合っていた十人、百人(もっと広範なつき合いをした人もいよう)それぞれが違った受け止め方をする。 私はトモさんに出逢った三十歳代の半ばから、別離となる日まで三十数年の歳月をともに歩いて来た。 最初の十年は一年の内の三百日余りを二人して遊んでいた。仕事も深く関わって(小説、エッセイのすべての挿画)いただいた。 銀座で働く男、女から言わせれば、二人が通り、路地を歩いていると、すぐにわかるらしく、出文・伊集院静写真・宮澤正明2014年、富山市の『LIVING ART IN OHYAMA』で開催された長友啓典氏の絵本「青のない国」原画展会場。Text by Shizuka IJUINPhotographs by Masaaki MIYAZAWA

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