ドイツ鉄道のワイマール駅からゆったりとした坂を下った1キロほどの場所に、4月にオープンしたバウハウス・ミュージアムはある。そこまで歩きながら目にするのは、ワイマール出身の写真家トーマス・ミュラーによる、ブーヘンヴァルト強制収容所に収容された、「目撃者」という白黒の巨大なポートレート写真のシリーズだ。この街を訪れると、この写真に限らず、後戻りできない歴史を深く考えさせられる。 中世の画家クラナッハ、文豪ゲーテ、劇作家シラー、音楽家バッハやリスト、リヒャルト・シュトラウス、哲学者ニーチェと、ドイツ史に名を連ねる文化人を輩出した街ワイマール。第一次世界大戦が終わり、ワイマール憲法が制定された1919年、後に20世紀を代表するデザインスクールと賛美される総合芸術学校は、建築家ヴァルター・グロピウスによって開校した。 中世の建築職人組合のバウヒュッテの名に由来するバウハウス。リオネル・ファイニンガーが描いたマニフェストの表紙「社会主義の大聖堂」が表すように、当初はマイスターが弟子に工芸と美術、表現主義と合理主義の両方を教える教育内容だった。しかし、教師間での考え方の違いや右派ドイツ人民党が政権を握ったことで、ワイマールのバウハウスはわずか5年で解散、デッサウに移転することになる。 バウハウスへのオマージュ、コンクリートのライトグレーの長方形のバウハウス・ミュージアムは、19世紀に建30デッサウワイマールBerlin ベルリンDessau-RoßlauWeimarGermany右から時計回りに:2階の展示スペース。1919の電光掲示は次々と文字が入れ替わる。/1階レセプションの隣には、公園を望む窓沿いにベンチが設置されている。/夜に光を放つLEDのガラスの結晶素材の外壁。/4階の吹き抜けには新旧バウハウス関連の写真の展示。/外観壁面にはbauhaus museumの刻印が取り巻く。/エントランスに吊るされたトマス・サラセーノによるインスタレーション。バウハウスWeimar「建築の家」誕生の地
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