SIGNATURE 2019 7月号
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 私は奇跡というものを信じないで来た。 その考えは、今も基本として変わらないのだが、この頃、奇跡が必要な人には、それがあってもいいのではないかと思うようになった。 そうなった理由はいくつかあるが、一番大きな理由は、物事の見方がやわらかくなったからだろう。見方というより物事の受け止め方かもしれない。 若い時に〝無神論〞にかぶれていたことも、奇跡を拒絶していた理由のひとつだろう。 若い時、青二才の私は何を見るにしても、行動を起こすにしても、これは自分の信条にかなっているか、といちいち青臭いことを考えていた。 今、考えればずいぶんと扱いにくい男であっただろう。今さら詫びても仕方ないが、時間をその時に戻すことができたら、謝らねばならぬ人が大勢いる。 しかしそれは何かのきっかけで変わったのではなさそうだ。 良き友、やさしい先輩、家族が、そんな私を心配して見守ってくれていたからだ。 そのように頭が上らない人たちは何人もいるが、中でも一番世話になったのは、トモさんこと、この連載で長く挿画を描いて下さったグラフィックデザイナーの長友啓典氏だろう。 先月号でもトモさんのことを書いたが、今月も少し触れてみたい。 実は先月、トモさんの三回忌が終ってほどなく小説の取材もあって二泊三日で香港へ出かけた。友人の墓参にも、時間があれば行くつもりだった。 香港は三十年近く前によく訪れた。仕事の撮影地として使うことが多かった。 あの山や丘が迫ったちいさな土地がなぜか落着けた。 最後に訪れたのはトモさんと二人だった。 たしかポルトガル領、マカオへも出かけ、トモさんの好きだったガヤガヤした市場のようなところで店に飛び込み、朝まで騒いだ。 ハトの肉が美味いことも教えられた。 香港では一軒の料理店に、トモさんに同行してもらった。 九龍の一角にある古い茶房である。 私の小説に『いねむり先生』という作品がある。半分は自伝のようなものだが、作家の色川武大さんとの交流を書いたもので、ラストシーンに、その茶房が登場する。 私と色川先生は数年の間でさまざまな場所を旅した。〝旅打ち〞と呼ばれるギャンブルをして旅をする。その旅の途中、先生は東北、一関の町で亡くなった。7 文・伊集院静写真・宮澤正明1990年代のビクトリアハーバー。九龍サイドから香港島の高層ビル群を望む。Text by Shizuka IJUINPhotographs by Masaaki MIYAZAWA

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