SIGNATURE 2019 7月号
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まばゆカラフルなフレスコ画が隙間なく描かれている。そこには、ヨーロッパ諸国にはない神秘さと荘厳さに満ち溢れた世界が広がっていた。この教会こそアンデスバロックの結晶と称され、別名「南米のシスティーナ礼拝堂」とも呼ばれる『サン・ペドロ教会』だ。なぜこれほどまでの煌びやかな教会がアンデス山麓の辺鄙な村に残っているのかをひもとくには、この国に流れた歴史を少し遡る必要がある。 ペルー南部、標高約3400メートルの高地に築かれたインカ帝国。かつて、コロンビア南部からチリ、アルゼンチン北部まで南北約5500キロにわたる領土を支配し、ほぼ全域に「インカ道」と呼ばれる道路網を巡らせ各地を結んだ。世界の中心として隆盛を極めた首都クスコは、その繁栄を象徴するかのように黄金に彩られた建物が眩い輝きを放つ街だったという。太陽神を崇拝するインカの人々にとって、光り輝く黄金はその象徴だった。しかし、16世紀、新大陸に渡ったスペインの征服者、コンキスタドールに攻め入られ、フランシスコ・ピサロ率いるスペイン軍の手に落ちた。黄金で飾られた建造物は、すべて土台だけを残して破壊され、金銀は強奪されて本国スペインへと送られた。そして、コンキスタドールたちは、残った礎石の上に自らの信仰と布教の拠点となる教会を建設した。こうしてクスコは、インカ時代の精巧な石組みとスペインのコロニアル建築といった、ふたつの帝国文化が融合する独特な町並みを現在に残すに至っている。 そんなコンキスタドールのもうひとつの大義が、先住民インディオへの布教活動だきら67Photographs by Ryoichi SATO Text by Hiromi SUZUKI

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