砂澤ビッキおといねっぷイヌ民族の伝統をベースとしながら自然や生命を形にし、現代アートに昇華した彫刻家・砂澤ビッキ。1989年には作品が米『スミソニアン博物館』で展示された。近年、日本のみならず、世界的にも注目を集める。 札幌市から稚内市方面にクルマを走らせること、約4時間。総面積の8割以上を森が占め、770人が静かに暮らす音威子府村がある。ここに、ビッキが最期の時間を過ごしたアトリエがあった。元は小学校だった建物で、現在は『エコミュージアムおさしまセンターBIKKYアトリエ3モア』として、ほぼ当時のままの姿で残る。 「見かけは大きくて豪快だけれど、実は照れ屋で純情。本当に人懐こくて、どんな人とでも1時間も話したら昔からの知り合いのように打ち解けるんです。村中の人がアトリエに遊びに来て、『ビッキ』と呼んでいましたね」 そう語るのは、ビッキと深い友情で結ばれていた河上實さんだ。現在は、アトリエ3モアで名誉館長を務める。 1931年、アイヌの両親の間に旭川市で生まれた。本名は恒雄だが、幼い頃からいたずら坊主だったため、アイヌ語でカエルを意味する「ピッキ」にちなみ、「ビッキ」と呼ばれた。 青年となって農業に携わっていたが住み、土産物の木彫りを始めた。同時に、神奈川県の鎌倉市にも拠点を持ち、仏文学者の澁澤龍彦など知識人や芸術家とも交流。この頃から現代アートに傾まことひさお音威子府アイヌ文化を現代美術に昇華した男 ア3022歳の時、父が死去。阿寒湖畔に移り上右:砂澤ビッキの代表作の一つ、《木面》シリーズのうちの《揆面》。上左:北海道大学中川研究林の庁舎敷地内に立つ《思考の鳥》。3本の柱のうち、《フクロウ》のみ完全な姿で現存。左:ビッキがアトリエとして使った旧小学校の建物は現在、『エコミュージアムおさしまセンター BIKKYアトリエ3モア』に。そこに展示される「ビッキ文様」の《樹鮭(さけ)》(1983年)。下右:役場にある作品《ホルスタイン》。見学の際は総務課地域振興室に連絡を。作品は村内に点在。下左:24歳の時、第5回モダンアート協会展で初入選した油彩《考える人・動物の時限》もアトリエ3モアに。Bikky SUNAZAWAOtoineppu
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