SIGNATURE 2019 8&9月号
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に、美しいアイヌ文様が刻まれている。そして柔らかな布のように見える、木製のお盆《イタ》。これらの至極の作品を手がけるのは、現代のアイヌ芸術を代表する名工・貝澤徹さんだ。 「アイヌでは古来、身につけるものや使うものに、これらの文様を入れて生活してきました。100年以上継承されてきたこの模様を、僕はバランスを見ながら作品に取り入れています」 優しい声色で、ていねいに答える貝澤さん。美術館での工芸展で数々の賞に輝き、昨年9月には英ロンドンの『大英博物館』に貝澤さんの作品が収蔵さにも動き出しそうなほど精巧に作られたカブトムシ。その背中れ、常設展示も始まった。世界中から注文が殺到する人気ぶりだ。 北海道中央南部、日高山脈から流れ出る沙流川に沿って広がる、沙流郡平取町の緑豊かな集落・二風谷。古くからアイヌ民族が暮らし、今もその文化が色濃く残る。貝澤さんは店舗を兼ねた『北の工房つとむ』で、朝から晩まで鑿を振るう。 二風谷ではもともと生活の糧として男性は木彫り、女性は織物を作ってきた。昭和40年代には観光客が大勢訪れるようになり、木彫りの実演をする店が40軒以上も並んだという。高校卒業後、貝澤さんは父の経営する店に入って技術を習得。だが、当初はアイヌのさるとりのみにぶだにびら伝統的な木彫りは一切作らなかった。 「若い頃はアイヌということで嫌な思いもしたし、今さら伝統的なものを彫る意味を感じなかった。しかし僕が18か19歳の時、阿寒湖畔で活躍されていたアイヌの木彫家・藤戸竹喜さんが二風谷に来たんです。その時、彼にもらった小さな熊は、本当に生きているみたいですごかった。それに刺激を受け、僕もリスやモモンガ、ウサギなど写実的な動物を彫るようになりました」 だが、33歳の時、転機が訪れる。地元『アイヌ文化博物館』開館の際のシンポジウムで、自宅に長年眠っていた、明治の名工と謳われる曽祖父・ウトレントクさんの《イタ》を紹介したのだ。ふじとたけき 「すると、彫り物の先輩が普段とは違う真剣な顔つきで、じっと見入っているんです。『この人がここまで惹きつけられるのだから、こうした伝統的な作品にはちゃんと意味があるのだな』とハッと目が覚めました。自分も嫌だと言って避けている場合じゃない、と」 40歳を過ぎた頃からようやく自分の表現ができるようになった、と貝澤さんは言う。それは、アイヌ民族に引き継がれる精神を形にする作品群だ。 「大英博物館で展示されている《ケウトゥムカンナスイ》は、『精神、再び』という意味のアイヌ語。ニレの埋もれ木を使い、フクロウが孵化する瞬間を彫りました。巣となっている土台は先人たちの作り上げた功績を表し、そこから今、文化を継承する若い人たちが生まれていることを伝えたくて。これを見て、『自分もやろう』と思う人が出てきてくれたらうれしいですね」 歴史と文化に裏打ちされた芸術性。アイヌ美術は今も歩みを止めることなく、未来に向かって進化し続ける。上:大英博物館で常設展示される、アイヌ語で「精神、再び」を意味する《ケウトゥムカンナスイ》のサンプル。フクロウが孵化する瞬間を表現する。下:貝澤さんの代表的な作風の一つで、柔らかな布のように見える《イタ》。「イタには魔除けの意味もありますから、トレーでありながら飾り物にもできればと思って作りました」(貝澤さん)。33北の工房つとむ北海道沙流郡平取町二風谷74-12TEL: 01457-2-3660kitanokoubou.jimdo.com今

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