SIGNATURE 2019 10月号
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しつらあじゃりごしちにちみしほいざなえんりゃくかんむこうにんかんじょういんしゅうきしょうごんけちえん文・沢田眉香子 写真・ 忠之寺域南西隅に位置する通常非公開の密教道場『灌頂院』(重要文化財)壁面に描かれた弘法大師像(江戸時代)の前の砂原氏。 京都・東寺の五重塔のシルエットは、旅人の心を京都の懐へと誘う。延暦15年(796年)、桓武天皇が京都に都を移した2年後、東寺の造営は始まった。その当時から、都の入り口にそびえ立つ荘厳な大伽藍は、遠く異国から来る使者たちを圧倒してきた。 官寺として建てられた東寺は、弘仁師空海へと一任された。以降、東寺は真言密教の根本道場として1200年もの間、弘法大師信仰の中心となってきた。その祈りの心臓部といえるのが、境内の一隅に静かに佇む『灌頂院』だ。一般に固く扉を閉ざすこの建物がいかに特別な存在か、執事長の砂原秀輝さんにご説明いただいた。 「灌頂院は、密教寺院にとって最も大事な儀式の場所です。ですから、お大師様は、南大門から見て右側に五重塔、左に灌頂院を置かれました。ふだんは設えも何もない、がらんとした場所ですが、儀式の時には両界曼荼羅、五大尊像と十二天像などを荘厳します。お坊さんが阿闍梨になる伝法灌頂、在家の方のための結縁灌頂が、ここで行われるのです」 国家を護る「教王護国寺」という役割を担ってきた東寺にとって、なにより重い真言宗の最高儀式が、弘法大師が始めた鎮護国家、五穀豊穰の秘法「後七日御修法」。それが執り行われるのも、ここ灌頂院だ。 「御修法は、平安時代から真言宗最大の儀式です。かつては宮中の真言院で仏の智慧と思想に照らされた、1200年前から続く教え32真言宗総本山 教王護国寺(東寺)執事長14年(823年)に嵯峨天皇から弘法大KYOTO, To-ji Temple and the Sculpture MandalaShuki Sunahara砂原秀輝真言密教の根本道場

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