パリの空の下セーヌは流れる、と謳われるように、セーヌ河はパリの街並の一方の主役である。 世界を代表する都市には、その都市の保護者のように情緒にあふれた河がある。ロンドンにテームズ河、上海には黄浦江、東京にも隅田川がある。 これは偶然ではなく、川の流れていた場所に人々が住みつき、都市をこしらえたからである。十八世紀までは水路が人と物を運ぶのに最大の効力を持っていたからだ。 かつて一九四〇年頃パリはフランスの中でも有数な港であった。港の大きさで言えば、一位のストラスブール、次いでマルセイユの海港が名を連ねるが、三位から五位はすべてセーヌ河にある港である。ル・アーヴこうほこううたル、ルーアン、そしてパリだ。 私が初めてパリを訪れた四十数年前には、セーヌを往来する船が数多く見られた。船着き場も残っていた。 それぞれの船着き場には、パリに降ろす荷の区分けがしてあり、木材を陸揚げする港、米、小麦の港、野菜や果実の港、サケ、ニシン、カキの海産物の港……と分れていたようである。そうして、その港、市場で働く人たちの中には、船上で生活する人たちもまだ見かけられた。 古いスケッチなどを見ると、シテ島などには百人近い洗濯する女が水辺に並んで賑やかに笑っている姿が描かれている。 今と違ってセーヌ河の水は綺麗だったのだろう。その証拠にセーヌ河の漁業権からの王の収入がかなりのものであったらしいから、魚も多く棲んでいた。サケも遡って来ていたらしい。セーヌ河から揚がった体長二メートルあるチョウザメを漁師組合がルイ十五世に贈った記録もある。 今でも川岸を歩いていると、老人や少年が釣り糸を垂らしている風景を見ることがある。一度少年のバケツの中を覗くと、小指ほどの大きさの魚が入っていた。 二十世紀の上流地帯の化学工業の発達が、この河の水を汚染し、パリの漁師たちは姿を消した。 最近はパリに滞在しても、ゆっくり街を散策することもかなわないのが残念であるが、それでも東の窓から、早朝、夕暮れの川の風景を眺めていると、友人や7 文・伊集院静写真・太田真三パリの空の下セーヌは流れるText by Shizuka IJUINPhotograph by Shizo OTA
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