しょうしぼうえんりんさんがくずいんこうごんごおんきちょうしんにちかんち 『小子房』は、東寺の中で天皇と勅使をお迎えする大切な場所で、通常一般非公開。「後醍醐天皇のお父さん、後宇多法皇は、東寺に住まわれて修行されていました。『お大師さんと比べたら、自分の心は子どものようなものだ』と、この場所を小子房と名付けられたのです」(砂原執事長)。 南北朝時代には、足利尊氏が東寺に本陣を構え、かつての小子房が光厳上皇の御所として用いられていた。現在の小子房は、昭和9年(1934年)、弘法大師空海の千百年御遠忌にあたり再建され、白砂が清らかな庭園「澄心苑」は、七代目小川治兵衛の作。六室の襖絵は、日本画の巨匠・堂本印象が描いた。さまざまな様式に挑んだ印象が、生涯こだわった水墨画の冴えが極まる五室の襖絵。それと鮮烈な対比を見せるのがもう一室、勅使の間の、金地に極彩色で描かれた「渓流に鶴」「日輪山嶽図」。上皇・上皇后両陛下が行幸の際には、この間にお休みになられた。 東寺の襖絵には、見逃せない作品がまだある。真言宗の勧学院としての役割を持っていた東寺の別格本山『観智院』。その客殿(国宝)の障壁画、伝・宮本武蔵筆「鷲の図」「竹林の図」だ。天を指して、力強く交差する竹は、武蔵の名高い二刀流を思わせる。 今回のイベントで特別に見学できる小子房では、枯淡と華麗の芸術を、観智院では、剣豪の気迫みなぎる水墨画を鑑賞。東寺のもうひとつの美の曼荼羅を堪能したい。ひわだぶき36境内南西に位置する『小子房』(通常非公開)は昭和9年(1934年)の再建。雛鶏の間から勅使の間を望む。小子房の東に立つ檜皮葺の勅使門は、皇族方が通る時などにのみ開かれる。吹き寄せの菱格子に菊紋が透し彫りされている。文・沢田眉香子 写真・ 忠之KYOTO, To-ji Temple and the Sculpture Mandala枯淡と華麗が出合う現代の曼荼羅
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