future クック諸島が西洋によっていわゆる「発見」されたのは1595年。北部のプカプカ島がスペイン人によって確認されている。その後、南太平洋の数々の島を航海し、地図を作成したジェームス・クック船長にも確認されている。クック諸島という名前は、1824年にロシアの製図者がクック船長の名を取って、この地域の島々をそう呼んだことに始まる。 太平洋に浮かぶ島々の歴史の大半がそうであるように、西洋による発見後、宣教師たちが島を訪れ布教活動を始めた。教会は島の伝統を否定し、習慣や慣例を禁止。それでも島民たちはジャングルの奥深くに分け入って踊りを続けたという。その後、イギリスの保護領、ニュージーランドの属領を経て、1965年に独立。正式にクック諸島という国が誕生した。「テ・マエバ・ヌイ」はその時に始まった。この大会は自分たちのアイデンティティを確認するためのものなのだ。 「クック諸島人にとって踊りとは、自分たちは何者なのか。その問いに対する答えのようなものなのです」 クック諸島の踊りについて知るためにいくつかの質問を投げかけた時、パパトゥアさんは何度もそう答えた。 もともとポリネシアの人々は文字を持たなかった。そのため、彼らの伝統や歴史は踊りや歌という形で次の世代へと受け継がれてきた。そこには先人たちが積み重ねてきた知識と経験が内包されている。 「『テ・マエバ・ヌイ』が終わると寂しいような、うれしくもあり悲しくもあり、でも達成感があって不思議な感覚になります」 そう語るのはアチウ島出身のアデレイダ・ブラウンさん16歳とンガトコトール・マタアリキさん17歳。彼らは今年の「テ・マエバ・ヌイ」で最も輝いていたダンサーだろう。大会が終わった後、誰もがこの若きダンサーのことを口にした。彼らは踊っている時、祖先と繋がる感覚を得る瞬間があると語る。その時、連綿と続く伝統や文化といった遺産を受け継ぎ、歴史を紡いでいるような気持ちになるという。 クック諸島人はかつて星を頼りに数千キロ彼方の海の向こうからカヌーに乗ってやってきた。同時に踊りももたらされた。踊りは人々と共に島に定着し、時代を経た今、若い世代へと確かに受け継がれている。 「テ・マエバ・ヌイ」の最終日。独立記念日であり憲法制定日である8月4日。厳かな雰囲気の下、国歌斉唱があり、れた。最後に副首相が「Voyage to the (未来への航海)」という言葉を語り、その日は終わった。南太平洋に浮かぶ小さな島国は、踊りと共に未来への航海を続けている。 私たちは何者なのか?答えを求めて人々は踊る58右:日曜日の礼拝。教会内にゴスペルが響く。イギリスから来た宣教師たちが去った後、独自のクック諸島キリスト教の教会が立ち上げられた。左上:ニュージーランドとの関係を維持しながらの独立を決めた初代首相のアルバート・ヘンリーが眠る墓地。左下:首都・アバルアにある、島で最も古い教会のうちの一つ。右:アチウ島に点在するビーチ。離島の景観はそれぞれ違い、そこから生まれるダンスにも違いがある。左:ラロトンガ島の中央には山がそびえ、鬱蒼としたジャングルが広がる。15の星がデザインされた国旗が掲げら
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