仕事場の窓から見上げる神楽坂、牛込一帯の空はまことに広くて、仕事の手を休めてしばし眺める時間が何度かある。 神楽坂という街の、大通り、路地を歩いていても、空が狭いという印象があったが、これは思わぬことだった。 春の霞むような雲まじりの空から、夏のまぶしい積乱雲が肩をせり上げるように昇る青空、そして今は鱗に似た魚群のような雲がひろがる空がある。 二十数年、仕事場として使わせてもらっていたお茶の水のホテルが、建物が旧くなり、いろんなものを改めねばならなくなり、その工事の期間、どこか仕事場を探さねばならなくなり、お茶の水のホテルマンが候補のひとつにあげたのが、神楽坂の少し裏手の丘にあるホテルだった。 前よりは部屋数がひとつ多く、少し広い。私は広い部屋を好まない。理由は多くの連載をかかえ、その上、夜は夜で繁華街へ足をむけるので、酔って帰って、朝起きると、部屋の中のあちこちに衣服と本が散乱している。部屋が広いと、同じ散乱でも、大散乱に映る。 部屋の乱れはすべて私のせいなのだが、私は整理していない部屋が嫌いな性分で、前のホテルだと部屋の係の女の子が、早朝、掃除をしてくれる。私はその間、湯船でずっと二日酔解消のため熱湯に身体を沈めているという塩梅で、横着この上ない作家である。 今回はキッチンと洗濯場もある。私は料理をいっさいしないが洗濯は五十年振りにした。もっともハンカチだけであるが、アイロンも使って、少し火傷もした。 最初の一ヶ月、やはり落着かず、仕事も遅れ気味だった。朝、昼食(どちらかなのだが)もうまく摂れず、痩せてしまった。 つくづく仙台の家で過ごすことがらくちんなことをあらためて思った。 部屋の掃除の間や、空腹の時は外へ出かけねばならない。神楽坂を歩くことになる。 週末の人出の多さは異様だが、平日もしかりである。大半の人がブラブラという足取りで、この頃、せっかちになった私はイライラしてしまう。 おまけに歩いている人はほとんどが年寄りである。どこにこんなに年寄りがいたんだと驚くほどの高齢者専門坂である。――神楽坂は変わってしまったナ……。 それがひさしぶりの、この街の印象だった。初めて神楽坂に足を踏み入れたのは、三十歳代半ばであったと思う。7 文・写真・宮澤正明伊集院静餡蜜、みっつText by Shizuka IJUINPhotograph by Masaaki MIYAZAWA
元のページ ../index.html#3