SIGNATURE 2019 11月号
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 ベテランの編集者に連れられて、タクシーを毘沙門天の前で降り、煎餅屋の脇の細い路地に入り、ちいさな階段を降りて行くと、黒塀の旅館があり、編集者に、ここです、ここでしばらくあなたは頑張るんです、と笑って言われた。 そこが今月号の扉ページの写真にある『和可菜』という旅館だった。 木戸を開けて玄関に入ると、老婆が奥の暗がりからあらわれて、あら△×さんいらっしゃい、と言った。こちらが厄介になる伊集院君です。と私を紹介した。私は老婆の顔をじっと見ていた。百歳はとうに越えているのではと思った。「先生、じゃ部屋にご案内しましょう」――先生とは誰のことだ? どうやら私らしかった。私は子供と老人をあまり好まないので、ちいさく吐息を吐いた。 初印象と違って、老婆はいい人だった。 三和土を上がって階段を先に上がる老婆の背中を見ていると、階上から、ミャーオと声がした。見ると黒っぽい猫が一匹、私たちを見下ろしていた。 三十数年前のことだから猫の名前も、老婆の名前も失念したが、どちらかがトラという名前だった気がする。 私は小説家の卵というか、まだ一冊の本も出版できぬ若造で、この宿で小説を書かされるという初夏だった。 部屋は六畳で中央に堀りコタツの骨組だけの上に角板が乗せてあった。――麻雀の方がむいている部屋と違うか。「色川先生も、この部屋で作品をお書きになったのです。あなたも頑張らねば」たたき ベテランの編集者はやたら頑張れ、と口にする。頑張って小説が書けるなら応援団出身の若者を探した方がイイんじゃないかと思った。「そうそう色川さんもここで書かれたんですよ。でもあの先生はほとんど寝てばかりでしたが」 私が笑うと、オバアサン、この人の前でそういうことは言わないで下さい、と編集者が言った。 二人が去り、部屋には猫と私だけになった。私は猫より犬の方が気が合うので、猫には話しかけないし、何もして来なければ、放って置く。 夕刻、部屋に編集者が上がって来て、テーブルに並んだビール瓶を見て、あなた、こんなにビール飲んじゃまずいでしょう、ここは酒場じゃないんだから、と血相を変えた。 それでもブツブツ言いながら、少し先にある鮨屋に連れて行ってくれた。「○○先生は見えますか。××先生たちがこちらで鼎談なさったとか……」「はい、昨夜も□□先生が見えました」 ○も×も□も、皆日本では名だたる小説家だった。 編集者が耳元で囁いた。「あなたも頑張れば、今の先生たちのようにここで鮨が食べられるんですよ」――やっぱり小説家はよそうかな。そんなことを考えながら肴の干瓢を食べた。 先月、今はなくなった、その旅館『和可菜』の路地を歩くと、看板は残っていた。 この塀を飛び越えると、ちいさな池のある小庭があっかんぴょうた。水のない池に、あの猫が入って日向ぼこをしていた。「何やってんだ、おまえ」 猫は返答しなかったが、気分は良さそうだった。一度、小鳥をくわえて廊下を自慢気に歩いている姿も見た。 あの夜、連れて行かれた鮨屋とは三十年余りつき合ったが、去年、暖簾を下ろした。 神楽坂は色川武大さんの生家が近く、先生と二人で競輪の帰りに坂下にある甘み処に入った夕暮れがあった。 先生は店の人に「餡蜜みっつ」と言った。 目の前に私のひとつと先生のふたつが並んでいた。ひとつ食べてから、もうひとつ注文すればいいのではと思う人があろうが。 私は先生のこういうところが好きだった。「美味しいでしょう? 伊集院君」「はい」つ8一九五〇年山口県防府市生まれ。八一年、文壇にデビュー。小説に『乳房』『受け月』『機関車先生』『ごろごろ』『羊の目』『少年譜』『星月夜』『お父やんとオジさん』『いねむり先生』など。エッセイに美術紀行『美の旅人』シリーズ、本連載をまとめた『旅だから出逢えた言葉』『悩むなら、旅に出よ』(ともに小学館)などがある。最新刊は、『週刊現代』に連載中のエッセイをまとめた、累計百九十五万突破の国民的ベストセラー「大人の流儀」シリーズ9『ひとりで生きる』(講談社)。現在、日本経済新聞に「ミチクサ先生」を連載中。Shizuka IjuinKagurazakaNumber 127伊集院 静

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