木挽町界隈にて
古き良き時代を守る人と出会う
いま歌舞伎座のある東銀座のあたりは、かつて木挽町とよばれていた。
江戸時代、建設技術者の木挽職人が多く住んでいたからだ。
なるほど、この界隈は歴史のある町なのだ。
そういえば、何気ない佇まいではあるが、なぜか惹きつけられる。
ふらりと寄った印刷工房、ギャラリーにも思わぬ発見があった。
文・山口正介
写真・長坂芳樹(『中村活字』、『銀座レトロギャラリー MUSEE(ミュゼ)』※一部を除く) 芦澤武仁(木挽町通り標識)
Text by Shosuke Yamaguchi
Photographs by Yoshiki Nagasaka/Takehito Ashizawa
どうも奇妙なことになった、というか不思議な成り行きとなった。新しい名刺を取り出して、名刺交換したときのことだ。
数年前にこちらの『中村活字』で名刺をつくったのだが、それ以前のストックがあったので、まだ使用していなかった。でも、今日は『中村活字』にお邪魔するというので、名刺入れから古いものを取り出し、新たに『中村活字』の名刺を充填した。
そしてその名刺を社長の中村明久さんに手渡したのだ。つまり、数年前に300枚つくった名刺を今日初めて使ったのが、当の制作者相手、ということになる。これは、なんとも不思議な感じだった。
父の代から名刺は活版印刷と決めている。活版にある手触りというか、温かさというか、しっかりした印字に風格を感じる。しかし、活版印刷自体をやっている印刷所が少なくなってしまった。
創業107年を迎える活版印刷の老舗『中村活字』の社長、中村明久さん。
名刺なんかパソコンでプリントアウトすればいいじゃないか、という声も聞こえてくるが、そこはやはりこだわりたいという気持ちが大きい。これまでは、文房具店でつくってもらっていた。しかし、もう10年ぐらい前になるだろうか、名刺や案内状の印刷はオフセットになりました、と言われた。そんなこともあるのかと、言われたときは頭が混乱してしまい、とりあえず補充分の300枚を印刷してもらった。でも、どうも薄っぺらで情けない思いをしていた。そんなとき、新聞の記事か雑誌で知ったのが『中村活字』だった。
さっそくお邪魔して、新しい活版印刷の名刺をお願いした。僕の名刺は名前と住所と電話番号とメールアドレスだけというシンプルなものだ。それでも明朝体で名前、筆記体で英文の名前という場合、活字が揃っていないことがある。
以前の文房具店でも、英文の筆記体と住所部分の数字の活字が同じデザインで揃わないと言われた。漢字とアルファベットと数字の活字のデザインは、並べたときに美しくなるように出来ているものだ。しかし、そのすべてを印刷所が持っているかというと、そうでもないのだった。筆記体の英文に合う数字の活字は持っていない、などと言われる。だからといって筆記体のほうを替えるのは気に入らない。このあたりに名刺印刷の悩みがある。
そのすべての問題をあっけなく解決してくれたのが『中村活字』なのだった。今後も末永くお願いしたいと思っている。
「馬の背」と呼ばれる棚に並べられたたくさんの活字。活字が落ちないように、少し傾斜がついてるそうです。
戦前からの古いビルが残っているのも銀座の魅力のひとつだ。戦火を免れたビルも多く、その景観は懐かしいものを感じさせる。日本のビルや家屋は耐用年数を待たずして建て替えられてしまうという。つまり数10年で街の表情は一変してしまい、見知らぬ他人のような町並みができてしまうということになる。
銀座1丁目20番地にあった3階建てのビルは築85年(昭和7年竣工)。もともとは油商店だったそうで、1階部分は長く小料理屋として利用されていたという。
そのビルを買い取り、解体して、新築の高層ビルにしようとしていた川崎力宏さん(川崎ブランドデザイン有限会社 代表取締役)は、化粧がわりの漆喰を取り除いた跡に、古色蒼然としたスクラッチタイルを見つけて驚いたという。
歴史的な建造物であるということが、このときわかった。ローマの地下に古代都市を発見するフェリーニの映画を思い出す。
そしてビルの解体は中止されてリストアされることになった。1932年に建てられた名もなき小さな近代建築が『銀座レトロギャラリーMUSEE(ミュゼ)』に生まれ変わった瞬間でもあった。
2013年、この地に『銀座レトロギャラリー MUSEE(ミュゼ)』を開廊した川崎ブランドデザイン代表の川崎力宏さん。
レトロな近代建築を舞台に、美術館スタイルの展覧会を企画開催。現役の作家・企業とタッグを組み、あえて新しいコンテンツで挑んでいるという。
建物すべてがギャラリー。築85年の歴史を物語る、剥き出しの杉天井をじっくりと眺めます(左)。
「銀座の100年」をテーマに選定された絵ハガキなどを常設展示(中央)。
2017年3月15日(水)~19日(日)に開催されていた「志賀絵梨子展 具象化された想い」の様子(右)。
内部を見学させていただく。思えば叔母の義理の祖父は、日本で初めてコンクリートを使い、銀座の博品館を建てた伊藤為吉であった。同じ銀座、このビルの建築にも何か関係があったのでは、などと想像の翼も伸びる。
銀座レトロギャラリー MUSEE(ミュゼ)
東京都中央区銀座1-20-17 川崎ブランドデザインビルヂング
営業時間:11:00~18:00(水~日曜)
03-6228-6694
[著者プロフィール]
やまぐち・しょうすけ
作家。映画評論家。1950年、作家・山口瞳の長男として生まれる。桐朋学園芸術科演劇コース卒業。劇団の舞台演出を経て、小説、エッセイなどの文筆の分野に転身。銀座の散歩はヤマハのサクソフォン教室、映画の試写などに通っているうちに「ほぼ日課」となる。主な著書に『正太郎の粋 瞳の洒脱』『山口瞳の行きつけの店』『江分利満家の崩壊』などがある。
*ギンザ八丁 たてよこ散歩 Vol.3「食材の宝庫、山形のアンテナショップで発見したイタリアンの名店とは」も併せてご覧ください。
2017.03.28