ダイナースクラブの縁 醍醐寺

文化財修復プロジェクトに参加しませんか?

(左)襖絵 堂本印象筆《桜花と杉樹》の内 (中)大輪明王曼荼羅 (右)醍醐寺文書聖教

(左)襖絵 堂本印象筆《桜花と杉樹》の内 (中)大輪明王曼荼羅 (右)醍醐寺文書聖教

2014年から「醍醐寺」の伝統文化、国宝および重要文化財などの保全を目的として「醍醐寺/ダイナースクラブ文化財修復プロジェクト」を行っています。文化財の中には、修復を必要としているものがまだたくさんあります。 ぜひ皆様のご厚意・ご協力をお願い申しあげます。
ご寄付いただいた金額に応じて、特典をご用意しています。

縁起

三宝院 庭園

三宝院 庭園

上醍醐 醍醐水

上醍醐 醍醐水

下醍醐 弁天堂

下醍醐 弁天堂

三宝院 表書院

三宝院 表書院

醍醐寺は聖宝理源大師によって貞観16年(874)に開創されました。
開山以来、醍醐寺は日本仏教史上枢要な位置を占め、現在までその祈りを伝えています。伝承される多くの寺宝は、国宝や重要文化財に指定されており、その数は国宝75,537点、重要文化財430点にのぼり、平成6年(1994)には世界文化遺産にも登録されました。
醍醐寺の本坊である三宝院は、その建物の大半が国宝・重要文化財に指定されており、その庭園は、慶長3年(1598)、豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際し自らが基本設計をした庭で、今も当時の華やかな雰囲気を伝えています。

催し

五大力尊仁王会(ごだいりきそんにんのうえ)

五大力尊仁王会(ごだいりきそんにんのうえ)

「五大力さん」の名で親しまれ、不動明王をはじめとした五大明王の力を授かる行事。毎年2月23日の当日は、その前の一週間のべ1000人以上の僧侶によってご祈願された災難・盗難除けのお札「御影」がこの日だけ授与されるほか、巨大な鏡餅をどれだけ長く持っていられるかを競う「餅上げ力奉納」も開催。女性は90キロ、男性は150キロの大鏡餅を抱え、力を五大明王に奉納し、無病息災や身体堅固のご利益(りやく)を授かるように祈る。
京に春を告げるといわれる醍醐寺最大の行事に、ぜひご参拝ください。

日時:毎年2月23日
場所:醍醐寺

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語り

天上天下 唯我独尊

天上天下 唯我独尊

醍醐寺 座主 壁瀬宥雅

実践行(じっせんぎょう)

実践行(じっせんぎょう)

醍醐寺 執行 仲田順英

茶室の窓から見える「おもてなし」

茶室の窓から見える「おもてなし」

醍醐寺 執行 浦郷宜右

初心忘るべからず(初心不可忘)

初心忘るべからず(初心不可忘)

醍醐寺 醍醐山伝法学院 院長 田中祐考

語り

天上天下 唯我独尊

醍醐寺 座主 壁瀬宥雅

天上天下 唯我独尊

ブッダの伝説に出てくる「天上天下 唯我独尊(てんじょうてんが ゆいがどくそん)」という言葉を、私は「世の中に、自分という存在はたった一人しかいない。だからこそ尊いのだ」と理解しています。
世界の人口が六十億人だろうと七十億人になろうと、自分はただ一人の自分であって、全く同じ人間はこの世にはいません。
それにもかかわらず、私たちは、社会のいろいろな尺度や情報で、あの人は「善人だ」とか又逆に「悪人だ」とか、その人のある一面だけを見て、単純に色分けしてませんか。
人の人格を分析する時、そこには無数の要素が含まれると思います。たとえば、心の優しさ・金銭感覚・仕事への意欲・家族への愛情・信仰心・得意分野・福祉への取り組み・・・・・等です。つまり、無数の要素の長・短が、その人の人格となり、どういう行動をとるかを決定する訳です。
仏教では、我々人間は「本来清浄(ほんらいしょうじょう)」と説かれています。私たちは生を受けた時は全く白紙の状態なのです。しかし、それと同時に持ち合わせている「欲」というものによってその白紙は様々な色へと変色していきます。そこには「よき色」もあれば「悪しき色」もある。仮にどのように「悪しき色」に染まった人もその根本は「清浄なる白色である」と教えています。
人間は不完全なものです。しかし、前述のごとく「ただ一人の自分」と同時に「本来清浄」なのです。よって私たちは、自らに誇りを持ち、自らに恥じぬ行動をとり、自らに正直に生きる努力をすべきでしょう。
ブッダの「天上天下 唯我独尊」という言葉は、釈迦自らのことであると共に私たち人間すべてに共通した真理であり教訓だと思います。
皆様も、この言葉を深くかみ締めて頂きたいと思います。

語り

実践行(じっせんぎょう)

醍醐寺 執行・総務部長 仲田順英

実践行(じっせんぎょう)

日本は四季の季節の移り変わりの中、自然に恵まれ、人と人のつながりを大切にし、命と命の結びつきに心を寄せてきた民族です。そして、私たちの先人達は、日々の生活の中で、人の心に祈り、目には見えない命に感謝をし、自然に対して感謝の念をもって生活してきました。
仏教では、この祈りや感謝の念を表すことを「実践行(じっせんぎょう)」として、大切にします。「行」というと大げさに聞こえますが、私たち日本人は、生活の中でごく自然とこの実践行をしてきました。
例えば、仏教でいえば、お葬式へお焼香に行くのも、通夜振る舞いがあるのも、年忌があり、お盆や彼岸にお墓参りをするのも、故人への祈りであり、感謝の実践行です。さらに、その他にも、私たちの生活の中には様々な感謝の祈りがあります。お正月に初詣をし、七五三でお宮参りをし、盆踊り、秋祭り、鎮守のお祭りなどなど、更には、クリスマスにプレゼントを贈ることや盆暮れの挨拶、年賀状、たくさんの風習が私たちのまわりにはあり、それらは様々な形で人と人、心と心を結びつけ、それが、目に見えない大きな力に対しての感謝の祈りとなっています。まさに実践行を行っているのです。
このように私たち日本人は、生活の中に実に自然と、誰からも強制されることなく感謝の心を中心とした、祈りの実践を行っています。そして、日本の豊かな文化を支えてきたのは、この「他」を重んじ、「縁(えにし)」を大切にし、感謝の念をいつも持っている日本人のこころではないでしょうか。
戦後、高度成長、バブル経済といった経済優先社会のなかで、残念ながら私たちは先人が大切にして育んできた、日本人のこころを忘れようとしています。しかし、私たちの人生は、時の流れの中で、瞬く間にすぎてしまいます。その時間を思うとき、私たちはやはり、命一つひとつのつながりの大切さ、目には見えない大きな力から頂く様々な恩恵について思いを馳せるとき「こころ」の大切さを強く思います。「諸行無常」、時の流れの速さと、命のはかなさを感じながらも、無駄な命など一つもなく、縁の大切さ、一生懸命と生きることの大切さを感じます。
様々の仕事があり、子どもがいる、いない。結婚している、していない。人それぞれに様々な人生がありますが、人は子孫を残すためにだけに生まれてきたわけではなく、一生懸命と精一杯の人生をおくる中で、お互いにどこかで影響をしあい、縁を結び、支え合い、心を伝えながら生きていくことの大切さを思わざるを得ません。経済では人の心は豊かになりませんし、心に安心(あんじん)を与えることもできません。だからこそ、どんなときにでも「感謝の祈りをもちながらの実践」が大切ではないかと思います。
人は、誰もが、一つひとつがんばらなければなりません。はじめから何でもできる人は一人もいないのですから。
人は、誰もが、一つひとつがんばらなければなりません。多くの人が同じように苦しみ、迷いながらがんばってきたのですから
人は、誰もが、一つひとつがんばらなければなりません。人の命は、多くの命とつながっているのですから、
そうです。だからこそ、一つひとつがんばりましょう。他人の評価より、自分を支えてくれた多くの命にたいして、感謝を込めて。
それが、私たちの小さな実践行であり、小さな実践がやがて、歴史を作り、人を作り、いつか、争いのない、穏やかな世界を作ることに繋がることを信じてやみません。
世界中の人々が全員日本車に乗れるようになれば、日本は経済的にとても豊かな国になるかもしれません。しかし、車が増えれば地球が限界になることは、皆さん分かっているのです。でも、経済成長は人の生活を豊かにします。それでは、心の豊かさはどうすればよいのでしょうか? その答えは、祈りの中にあるのだと思います。もう一度、日本の歴史に思いをよせ、伝統に身を寄せてみてはいかがでしょうか。

語り

初心忘るべからず(初心不可忘)

醍醐寺 醍醐山伝法学院 院長 田中祐考

初心忘るべからず(初心不可忘)

世阿弥の残した言葉に「初心忘るべからず」があります。いまでは、「初めの志を忘れてはダメですよ。」という意味に使われていますが、本来は少し違っていたようです。
世阿弥は『花鏡』の中で、
第一に「ぜひ初心忘るべからず」
第二に「時々の初心忘るべからず」
第三に「老後の初心忘るべからず」その末尾に「命に終わりあり能には果てあるべからず」
とし、三つの「初心」について記しています。
京都で観世流を継承する能楽師、片山九郎右衛門先生はこの言葉を「世代継承の知恵。心から心へ伝える花を次へ受け渡すために最も大切な教え」と記しています。
まずは、「若さゆえにありがちな自信過剰、または思い込みゆえの未熟さ」を「初心」といい、失敗と恥に学び、乗り越え、成長しようとします。
次に、「時々」とは若いころから最盛期を経て、老年に至るまでの時々。「折々の曲との出会い、自身の体の変化をよくよく考慮しつつ乗り越え、体に刻み込んだ者のみが能役者として本当の花を咲かすことができる」。
最後に「老後」は、「枯れた肉体に似つかわしい風体を工夫しつくして刻み込み忘れぬこと」。
そして、「先人が工夫に苦しむ様を次にさらしつくしてくれる・・・次の者が受けてゆくしかないのです。」と解説されます。
(「」は京都新聞十月二九日より)
この記事を読み、私は初めて「初心」が初めの志のようなもののみを言うのではなく、一つ一つの積み重ねの上に改めて築かれてゆく、学びであることを知りました。
能は一番一番が一期一会の芸術です。その緊張感のなか、精進を重ねた者が、自らに相応しい初心を忘れないようにする。
歳をとったなら、乗り越えようとする試練にあるがまま向かい、その都度改めて「初心」をいだく。
このような姿勢に私は、内に宿る反省と学びの謙虚さを教えられたように思います。また、私たちは先人より「心から心へ伝える花」を受け継ぎ、学びを築いていることにも気付かされます。
日々、私たちは様々な場面で新しいこと、未体験のことに出会います。
「初心忘るべからず」
この言葉を胸に思いながら、先人に感謝して、日々、精進してまいりたいと思います。

語り

茶室の窓から見える「おもてなし」

醍醐寺 執行・教学部長 浦郷宜右

茶室の窓から見える「おもてなし」

11月の京都は紅葉の時期で、多くの寺院や観光スポットでは秋を愛でる催し物が盛んに行なわれておりますが、中でもよく行われる催し物に茶事があります。そもそも日本でのお茶は、奈良・平安時代に、中国・唐に留学していた空海や最澄などの高僧がお茶の種子を持ち帰ったことに始まります。当時は、全国の寺院でお茶が栽培され、薬として重宝されておりました。また、この頃から京都の寺院を中心に、お茶を喫す伝統が生まれたと言われております。その後、遣唐使の廃止に伴いましてお茶の伝来は一時途絶えますが、鎌倉初期に栄西(えいさい)禅師が中国・宋よりお茶の種を持ち帰るとともに、『喫茶養生記』を著し、お茶の製法や効用を広く伝えました。このことにより、今までごく限られた人だけが喫していたお茶が嗜好品として普及していくことになりました。お茶の歴史をたどりますと、多くの寺院・僧侶が関わっていることがわかります。秋に限らず、年中通して多くの寺院で茶事が盛んに催されるのも、このようにお茶が広く親しまれるようになったためです。
その茶事の中でも、特に11月は茶人の正月とされており、茶人にとっては一年で最も大事な月であり、節目となります。なぜならこの月は、その年の初夏に摘んだ新茶が詰めてある茶壺の封を切り、その場で茶臼でひいて供する「口切」の茶事と、茶室を風炉の設えから炉の設えに代える「炉開き」という、茶事の中でも特に重要な行事が重なっているからです。
この炉開きは、単に茶室の設えを炉に代えたことをお披露目するための茶事ではなく、亥の月(旧暦の10月)の亥の日に炉を開き、無病息災を祈念するのです。陰陽五行説では、亥は五行(地水火風空)の水にあたり、火を鎮めることから、火難除けを願う意味で亥の日に行ないます。また、この炉開きには「亥の子餅」というお菓子を食します。このお菓子はその銘の通り、亥の子に見立てて作られたもので、これは亥・猪が多産であることから、子孫繁栄を願う意味から出されます。茶人でなくても昔は11月の最初の亥の日に「火入れ」と言って、火鉢や炬燵を出して家の暖房をすることが決まっておりました。
醍醐寺でも毎年、炉開き・献茶式を行ないます。先に述べた陰陽五行説は、仏教の五大(地水火風空)にも通じます。醍醐寺での炉開き・献茶式は、醍醐寺の山上に湧き出る名水を汲み、炭手前で炉(地)を浄め、醍醐水の入った釜を浄め、炭(火)をおこし、お香(風)を入れて、場(空)を浄めてから、御本尊に献茶いたします。
このように日本は深い歴史の中で培ってきた価値観から様々な文化を生み出してきました。それは日本人ならではの繊細さで、美しく素晴らしいものです。その中の一つに、自然に敬意を表し、またそれを生活の中で生かそうという工夫をしてきた文化があります。庭にある滝や鹿威し、または夏の風物詩である風鈴などもその工夫の中から生まれた日本人の美意識ではないでしょうか。自然の音を「騒音」ではなく「清音」ととらえて生活の中に取り入れてまいりました。また、四季があるのは日本だけのようによく言われていますが、これは日本人が最も日々の生活の中に四季を観じ、大切にしてきたからに他ならないからだと思います。そして詩や俳句の中にも見て取れるように、人の心情も四季に喩える豊かな感受性も育んでまいりました。茶事ではこのような四季観や文化・伝統を上手に取り入れ、伝承してきております。茶道が総合文化と言われる所以でありましょう。
しかしながら近年はこのような古くから伝わる伝統文化を知る人も少なくなり、またその意味を理解している人も限られたものとなったように思います。先日のハローウィンの日に、全国各地で仮想行列を楽しんでいる人の姿がニュースで流れておりました。日本は古くからこうした異国の文化を容易に受け入れ、それを上手に自国の文化と融合させてきました。これは日本人の寛容さが生み出した素晴らしい一面ではありますが、近年ではその異国の文化に単に流されるだけで、本来の日本の伝統が失われつつあることも否めません。また、各地方では過疎化のために今まで伝統的に行なわれていた行事を継承できないことも増えてきております。昨年は、2020年の夏季オリンピック・パラリンピックが東京で開催されることが決まり、その時の誘致活動での「おもてなし」と言うフレーズは記憶に新しいかと思います。日本は常に世界より注目されている国であり、実際に海外から日本に来られる方も増え続けておりますが、異国の文化を用いて「おもてなし」をしても世界に誇れるわけがございません。また、異国の文化や価値観に流されていては世界に通用するはずもありません。近年、歴史観の違いなどで日本が他国からひどく批判を浴びることも多くなっておりますが、我々日本人は、もっと自国の歴史や伝統文化を正しく学び、世界に誇れるその価値観を今一度しっかりと認識し、世界に発信していきたいものです。

2014年から「醍醐寺」の伝統文化、国宝および重要文化財などの保全を目的として「醍醐寺/ダイナースクラブ文化財修復プロジェクト」を開始しています。クレジットカードのダイナースクラブ公式サイトをぜひご活用ください。