インタビュー
写真・福田喜一 文・渡邊卓郎
Photographs by Kiichi FUKUDA Text by Takuro WATANABE
江戸時代の面影を今に残す飛騨高山。木造の家が並ぶ情緒豊かな街並みと、四季折々の表情を見せる自然が魅力のこの地に、新たな滞在のかたちを提示する宿が誕生した。『まち宿 壱龍』――かつて『旅館 清龍』として長く親しまれてきたこの宿は、土地に根ざしながらも、より現代的な感性を纏ったスモールラグジュアリーホテルとして2024年に生まれ変わった。飛騨高山の文化や人々の温もりを映し出す、静かで上質な空間。その名のとおり“まち”と調和し、“まち”とともに息づく、新しい旅の拠点がここにある。
25室あった部屋を11室にすることで、部屋のみならず館内全体にゆとりを生み出した。
土地の日常に触れ、その一部となるように時を過ごす旅は、心に深く刻まれる体験となる。飛騨高山はそうした旅にふさわしい場所。歴史の香りを今に伝える古い街並みを徒歩で巡ることのできるこの土地は、多くの旅人を魅了し続けてきた。
「"暮らすように、まちと生きる宿"をコンセプトにしています。飛騨高山の四季と文化、そして人々の温もりに包まれながら、けっして派手な主張をせず、この土地の営みにそっと寄り添う、まちの宿でありたいと思っています」
そう語るのは『まち宿 壱龍』代表の村井繁喜さん。前身である『旅館 清龍』をリノベーションし「まち宿」の名を冠して生まれ変わった背景には、その風景に自然と溶け込む宿をめざしたいという想いがある。
1970年、国鉄(当時)による「ディスカバージャパン」キャンペーンが飛騨高山を"心のふるさと"として全国に紹介したその年、『旅館 清龍』は誕生した。当時としては斬新でモダンな建築様式が話題を呼び、多くの旅人を迎え入れてきた。
しかし、50余年の歳月は建物に老朽をもたらし、時代の変化とともに、宿泊者の価値観やニーズも大きく多様化していった。その中で、事業を継続すべきか、それとも幕を下ろすべきかという問いに、村井代表は8年という時間をかけて真摯に向き合うこととなった。
先代から受け継いだ宿を閉じることは簡単ではない。ともに働くスタッフの雇用、地域社会への責任、そして旅館が果たしてきた役割を鑑みたとき、廃業は最善の道ではないとの結論に至る。そして、導き出された答えは、「飛騨高山にはまだない、まったく新しい滞在体験を提供する宿」をめざすことだった。
「ホテルが次々と立ち並び、従来型の宿の存在意義に疑問を抱いた時期もありました。しかし、だからこそ少人数でも運営でき、かつ高山には存在しない新しい価値を届けられるスモールラグジュアリーホテルという選択にたどり着いたのです。私たちがめざしたのは、顔が見える宿。結局のところ、旅の記憶に深く残るのは人なのではないかと思うのです」
村井代表の想いは、『まち宿 壱龍』という名のもとに形となった。全11室という限られた客室数と、約10名のサービススタッフによるきめ細やかなおもてなし。それは、宿を訪れる一人ひとりと誠実に向き合うための体制である。
「飛騨高山の繁栄と存続に向け、地域とともに歩む」。これこそが『まち宿 壱龍』の揺るぎない理念だ。厳しい冬があるからこそ春の喜びが胸に沁み、季節の節目ごとに祭りが心を躍らせる――そんな暮らしの中で育まれる助け合いの精と感謝の心。それらを宿の空間にも息づかせたいという想いを持っている。
各部屋に備え付けられた風呂の他に、温泉を利用した貸切風呂を用意している。
飛騨高山の旅館文化と、土地に根ざした人々の心が静かに息づく『まち宿 壱龍』が醸し出す魅力は、伝統的な旅館のたたずまいにある。おもてなしの精神を大切に守り続ける旅館の姿は日本ならではの文化だ。
飛騨の人々はつつましく、飾らずに親しみやすいのだという。その気質は空間づくりにも表れている。内装デザインを手がけた「AO STYLE」の住百合子さんは、「主張しすぎず、どこか懐かしさがあって、安心感をもたらす空間。その中にさりげない新しさや楽しさを織り交ぜることで、“飛騨高山の旅館”としての魅力を形にしました」と語る。
高山市出身の女将の実家の蔵で大切に残されていた古道具が館内を彩る。紅白の飾りは飛騨高山伝統の正月飾りである「餅花」。
館内には、飛騨の暮らしに寄り添い、時を重ねてきた古道具の数々が、さりげなく、しかし印象深く配置されている。それはまるで静かに語りかけてくるような、手仕事の美しさと道具の力強さを湛えている。女将が実家の蔵から選び出したという、農作業用の籠や漆のお膳、染付の徳利やそばちょこなど、どれもが丁寧に使われてきた歴史を宿し、空間に温もりと深みをもたらしている。
「昨今、旅館の多くがグループ化され、個性が失われつつあるという声をよく耳にします。だからこそ、『壱龍』はそのような印象にならないよう強く意識しました。飛騨高山の旅館、そして"飛騨びと"の気質を象徴するものとして、私は古道具にその姿を重ねました。けっして華やかではありませんが、暮らしの中で人々に寄り添ってきた、手仕事の温もりが感じられる道具たちには、ほかにはない魅力があるのです」と、住さん。
「新しく生まれ変わった『壱龍』、その新しさに良い意味で垢をつけて、ほっとした空間にする演出として古道具を用いています。どうせなら愛着のあるものを使いたいと、女将と共に蔵に入り、その場で一つひとつを見極めながら選んでいきました」と、その過程を振り返る。
白川郷の合掌造りをイメージした和風ラウンジ「Black」。
宿には二つのラウンジがあり、それぞれに異なる趣がある。ひとつは、世界遺産・白川郷の原風景を彷彿させる囲炉裏を配した和風ラウンジ「Black」。もうひとつは、飛騨高山の魅力を発信するハブとしての役割を担う「BASE」だ。
「和の空間でゆったりと時を過ごしていただく『Black』、そして飛騨高山の情報を自在に取り入れられる『BASE』。この二つで土地の奥行きを存分に味わっていただだけると思います」と村井代表。
中でも印象的なのは、ラウンジ「BASE」に飾られた一枚の大きな地図。鳥獣戯画をモチーフに描かれたこのユニークな作品は、まるで古地図や絵巻物のように飛騨高山の風景と文化を映し出し、思わず笑みを誘うような仕掛けが随所に施されている。街への愛情が込められた、村井代表ならではの演出である。
ラウンジ「BASE」。壁一面に描かれた飛騨高山をテーマにした鳥獣戯画の絵が目を引く。館内や部屋では、すべて飛騨高山エリアのメーカーによる木工家具を使用している。
「街の景観を乱さず調和しながら、その土地の文化や自然を感じてもらう宿でありたいと思っています。飛騨高山の生活文化そのものに触れてもらいたいのです」と話す村井代表の願いのとおり、『まち宿 壱龍』では、街と自然に寄り添う滞在が叶う。そして、村井代表の想いは地元の食材をふんだんに使った料理からも感じることができるのだ。
「お造り以外は、できるだけ地元で採れたもの、生産されたものを使っています。初めて飛騨高山の空気と水に触れた時、その清らかさに驚かされました。ここの水は出汁がよく出るんですよ。昆布の旨みが引き立つ水なんです」と語るのは、料理長の青木聖人さん。
「味を加えて整えるというより、素材そのものの力を引き出すように意識しています。地元の野菜や山菜はいつの季節も驚かされます。香りが違うんです」。和食を軸にした飛騨高山ならではの味覚を心ゆくまで堪能できる料理が、旅の余韻をより豊かなものにしてくれる。
夕食コースの前菜。上から時計回りに「菜花の辛子和え ずわい蟹」、「岩蛸 寒干し大根 百合根 ぬた味噌」、「飛騨山椒 ざる豆腐 太白胡麻油」。
夕食コースのメイン料理。「飛騨和牛ランプ肉ロースト 白・緑アスパラ 黄人参 トリュフソース 桜塩」。
別棟の食事棟「168邸(いろはてい)」で個室での食事を楽しむことができる。
「スモールラグジュアリーホテルというと、宿の中で完結する“お籠り型”の滞在が多いようですが、私はむしろ積極的に街へ出かけていただきたいと考えています。朝市を訪れたり、史跡を巡ったり。そして夜には、まるで江戸時代にタイムスリップしたような静けさに身を委ねていただきたいのです。宿はあくまで旅の拠点。思い思いに過ごし、疲れたら湯に浸かってゆったりと過ごしていただければ」と村井代表。
夜の訪れと共に灯りが灯ると、歴史ある街並みは別の魅力を放つ。右が宿泊棟、左が食事棟。宿泊棟の玄関を出て食事に行くということも"まち宿"ならではの演出だ。
『まち宿 壱龍』の魅力は、宿そのものにとどまらない。飛騨高山が持つ豊かさや奥行きを、宿を起点として五感で体験することこそが、ここでの時間をより特別なものにする。
角を曲がるたびにもたらされる小さな発見、旅先での思いがけない出会い。街に溶け込みながら過ごす時間が、旅を一層深く、記憶に残るものにしてくれる。
多くの観光客で賑わう宮川沿いの「宮川朝市」。
市民に愛されているアルプス展望台「スカイバーク」。眼下には高山市内が広がり、奥には乗鞍岳を始めとする3,000メートル級の北アルプスの全貌を見渡すことができる。
11室の宿泊客に対して、常に10名ほどが対応することで行き届いたサービスを提供する。
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飛騨高山の魅力を映し出すスモールラグジュアリーホテル『まち宿 壱龍』の村井繁喜代表へのインタビューをご紹介。