インタビュー

社寺建築の伝統をいかに保存し伝えていくか。

代々受け継がれた、匠の「技」と「心」

写真・石塚定人 文・児玉 博

Photographs by Sadato ISHIZUKA

Text by Hiroshi KODAMA

加藤雅康氏 写真・石塚定人

平安時代の天禄元年(970年)創業の創業家第二十一世。中村社寺代表の加藤雅康氏。

社寺仏閣建築一筋。「千年企業」としての使命

時は平安時代中期。天皇に成り代わり権力を握った藤原家による摂関政治が最盛期を迎え、かの『枕草子』を認めた清少納言が生きた同時代の天禄元年(970年)、神社仏閣の建築を行うある堂宮大工の棟梁が京都から尾張の地、一宮にやってきた。そして、この地で大工集団を束ね、一家を成す。それが現在まで続く社寺仏閣建築を中心とする建設会社『中村社寺』の始まりだった。

およそ1000年以上も前の話。確たる資料が残っているわけではないが、代々口伝で残されてきた。愛知県内では最も古い会社であり、全国的にも7番目の長い歴史を持つ会社である。

創業家である中村家の二十一代目・加藤雅康氏は、中村社寺に入社する際に中村家一千年にわたる歴史をひもとき、その重さに圧倒されたという。

「数百年と続く寺社がありますね。そうしたら当社はそれらと同じような時間を、同じような歴史に寄り添いながらやってきたわけです。それが当たり前のように続けられてきた長い時の流れを前に、真摯にならざるを得ませんでした」

中村社寺が手がけた施工例。岐阜県多治見市の臨済宗永保寺の庫裡。/東京都世田谷区尾山台の浄土宗寺院・傳乗寺、東京では珍しい木造の五重塔。(写真提供・中村社寺)

中村社寺が手がけた施工例。岐阜県多治見市の臨済宗永保寺の庫裡。/東京都世田谷区尾山台の浄土宗寺院・傳乗寺、東京では珍しい木造の五重塔。(写真提供・中村社寺)

歴史を刻み、歴史とともに伴走する

確かに中村社寺が手掛けた中には、日本を代表する寺院に関わった記録が数多く残されている。東本願寺の勅使門(天皇、または天皇家の勅使が訪れた時にだけ開かれる門)、石川県から神奈川県に移転した曹洞宗大本山總持寺の、大移転工事の主要部分を中村社寺が請け負った記録もその一つだ。

中村社寺の担う仕事は、歴史を刻み、歴史とともに伴走するようなものだ。「会社の寿命30年説」が言われる中、1000年を超えて存続し続けてきたことは奇跡に近い。その奇跡を支えてきた理由の一つが、愛知県内の寺社の多さだった。

「寺院は愛知県が日本一多く、およそ4600寺あると言われています。加えて、木曽檜に代表される良質な木材産出地と近かったことも幸いしたのでしょう」(加藤氏)

つまり、需要の多さは技術伝承を途切れることなく容易にした。1954年には『中村建設』と社名を変更し、ゼネコンとしての事業展開を試みる。しかし、原点回帰、歴史への回帰を決意、再び『中村社寺』として、歴史を紡ぐことになる。

加藤雅康氏 写真・石塚定人

「寺社の番人」としての矜恃

中村社寺の社章は、大工道具「差し金(さしがね)」のデザインの中に「ト」という文字をあしらったものだ。職人集団である矜持を込めた屋号でもある「差し金」の中に「ト」の文字は、明治15年に生まれ、近世『中村社寺』の中興の祖である「中村豊三郎」の頭文字から取ったものである。以降、代々社長は「豊三郎」を名乗ってきた。当代の加藤氏もこの4月以降に豊三郎の名跡を襲名する予定だ。

中村社寺は“寺社の番人”とも言われる。古来、地域社会の中心であった寺社。地域の住民が、葬祭はもとより、そこに集い、願い、祈りを捧げてきた場所でもある。寺社は地域社会の「重し」として存在し続けてきた。その中で起こる新築はもちろん、増改築など寺社のハード面を高度な技術で支え続けてきたのが中村社寺でもある。

「建築の面では、970年の創業以来、伝承されている技術をお役にたてることはもちろんですが、寺社さんを守っておられるご住職さんたちの日常は本当に大変なんです。極端な話、365日休みがないような生活ですね。私たちは、やはりそうした寺社をお守りされている方々にも寄り添うのが大きな仕事にもなっています」

加藤氏がこう話すように、寺社を取り巻く厳しい環境の中、“寺社の番人”たる中村社寺の担う仕事はより重要度を増しているといえる。

加藤雅康氏 写真・石塚定人

中村社寺伝来の印半纏をまとった加藤氏。襟には屋号の「カネト」が染め抜かれている。

未来に何を残し、何をつなげていくのか

加藤氏が触れたように、日本で一番寺院の数が多い愛知県を中心に、全国で事業展開する中村社寺。そんな中村社寺には、寺社にまつわるさまざまな情報が集まり、同時に寺社からのありとあらゆる要望が寄せられる。

その中で増えているのが老朽化した寺社の増改築の相談である。建築物である以上、老朽化は避けては通れない、しかし、昨今の寺社離れに伴う資金難はどの寺社もが抱える問題なのである。

寺社の建物は伝統技術の集積である。安いがゆえに市井の工務店などに発注してできる代物ではない。そうした寺社の切実な悩みを解決すべく中村社寺が始めたのが、古建築「リ・ユース」事業である。

「残念なことですが、今は、お寺さんもなくなる時代なんです。お寺さんがなくなると一緒に寺社建築の文化的建築物も失われる。それを見過ごしてしまうことはあまりにももったいないということで、廃寺になった文化的価値の高い部材を再利用できれば、修繕、改築を望んでいるお寺さんにとっては資金的な負担も減るということで始めたのが『リ・ユース』なんです」

未来に向けて何を残し、何をつなげていくのか。中村社寺の視線は寺社を取り巻く環境に柔軟に対応していった。

「残すものは残し、再生できるものは再生していく。これが現在と未来をつなぐSDGs(持続可能な開発目標)にも叶う話ではないかと思っております」(加藤氏)

しまうことも使命の一つ

代替わりとともにお墓はもう必要ないと「墓仕舞い」する家族が増えている。ここ数年はコロナの影響もあり、葬儀さえもが必要ないという風潮も強まっている。寺社にとっては、逆風が強まるばかりの環境が続く。実際に中村社寺にも、「寺を仕舞いにしたいんだが、どうすればいいか教えてほしい」というような連絡がくることも珍しくなくなったという。

時代とともに、ただ建築を請け負う会社から、寺社にまつわるあらゆる相談、悩みを引き受けるように、中村社寺の「ありよう」も変化している。

中村社寺そのものが、大きな変化を乗り越えてきてもいる。社寺仏閣建築を専門にしていた中村社寺が社名を中村建設とし、ゼネコン事業などにも事業を拡大したことは先に述べたとおり。最盛期には全体として150億円にまで売上を伸ばしたが、バブル経済崩壊とともにゼネコン事業は停滞。

2007年には中村建設は破綻処理をし、それを期に「原点回帰」を旗印に再び、同社よりもさらに古い歴史を持つ社寺建築会社『金剛組』の子会社となり、現在では『高松建設』を頂点とする高松コンストラクショングループの一翼を担う『中村社寺』として再生した歴史を持つ。

このような困難な処理をし、再生の陣頭指揮に立ったのが現社長の加藤雅康氏だった。トヨタ系商社のサラリーマンとして国内外を飛び回っていた加藤氏は、妻の実家の窮地を救い、そして再生の道筋をつける。

「時代とともに当社に求められるものも変化するのだと思います。社寺とともに有らん、とするところから『リ・ユース』事業も生まれ、また寺社の経営を手助けする収益事業を提案したり、寺社を未来につなげていくことには何でも協力させてもらっています」(加藤氏)

古来、脈々と“寺社の番人”であり続けた矜持と使命感を、加藤氏は以前にも増して感じる日々を送っている。

令和元年(2019年)創業の『鬼賢瓦』(岐阜県)の美濃瓦鬼師(鬼瓦の職人)が手がけた瓦のオブジェ。中国から伝わった想像上の幻獣「貘(ばく)」。/亀の瓦灯「タートルランプ」。(写真提供・中村社寺)

令和元年(2019年)創業の『鬼賢瓦』(岐阜県)の美濃瓦鬼師(鬼瓦の職人)が手がけた瓦のオブジェ。中国から伝わった想像上の幻獣「貘(ばく)」。/亀の瓦灯「タートルランプ」。(写真提供・中村社寺)

次代を担う若手の人材確保と育成

寺社を守り、寺社とともに未来を紡いでいく中村社寺にとって、次代を担う若手の人材確保と育成は待ったなしの問題だ。

昨年、新卒の女性を確保できたという加藤氏の顔はほころんだ。

「本当にうれしかったですね。何度も、何度も『(当社で)本当にいいの?』って訊いたほどですから」

365日休むことが許されぬような寺社に寄り添う中村社寺の仕事は、やはり過酷な面も多い、それだけに、加藤氏が「金の卵」と手放しで喜ぶのもわかろうというものである。加藤氏は内定者の実家がある埼玉県にまで出向いて両親にもご挨拶し、頭も下げてきた。それほど待ちに待った新卒内定者だった。

大正3年(1914年)創業、社寺仏閣彫刻『らんまの大橋』の4代目が手がける精緻な木造彫刻。右は阿弥陀如来坐像と大日如来坐像。(写真提供・中村社寺)

大正3年(1914年)創業、社寺仏閣彫刻『らんまの大橋』の4代目が手がける精緻な木造彫刻。右は阿弥陀如来坐像と大日如来坐像。(写真提供・中村社寺)

技術・技能の伝承と職人支援

若手の人材を育てるのは、寺社建築でも同じだ。加藤氏はさらに伝統技術の伝承のために、それを受け継ぐ若手職人たちへの支援にも力を尽くしている。一流の技術を持ちながら、中間業者が入ることによって職人の収入はかなり制限を受けていた。

「支援している美濃瓦の『鬼賢瓦』にしろ、欄間など社寺仏閣の彫刻を手掛ける『らんまの大橋』にしろ、実際に製作している若手の技術はたいしたものなんですよ。それが、なかなか実収入に結びつかない状況があったのですが、うちが直に発注することで収益が改善される環境を整備しつつあります」

加藤氏は、「瓦」にしろ、「欄間」にしろ、その見事な仕事ぶりは中村社寺にとっても必要不可欠なアイテムだけに、その技術を廃れさせまいとして支援に乗り出したのだ。

「せっかくの技術も経済的な問題でダメになるなんて、本当にもったいない。こうした技術伝承のための支援はこれからも続けていきたいと思っています」

“原点回帰”を果たした加藤氏が見据えるのは、寺社の未来であり、寺社の番人である中村社寺の未来の姿である。


加藤氏プロフィール

株式会社 中村社寺 代表取締役

加藤雅康

Masayasu KATO

1962年生まれ。創業以来千有余年を誇る『中村社寺』代表取締役。天禄元年(970年)、社寺造営のため初代当主が京より招かれて以来、代々社寺建築一筋の創業家第二十一世。社寺仏閣建築のトータルプロデュースのかたわら、日本の伝統技術の伝承と職人支援(販路拡大)にも取り組む。


お問い合わせ

中村社寺

フリーダイヤル:0120-154-484

https://nakamurasyaji.co.jp

Company Information

株式会社 中村社寺

愛知県一宮市城崎通7-4-3

https://nakamurasyaji.co.jp


株式会社 鬼賢瓦

*日本瓦(いぶし瓦)製造販売および施工一式

岐阜県岐阜市土居1-6-4

美濃瓦ホームページ http://www.minokawara.jp

株式会社 らんまの大橋

*社寺仏閣彫刻・地車・山車・各種注文彫刻の製造販売

岐阜県羽鳥郡岐南町伏屋6-120

http://www.art-ohashi.com

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歴史を刻み、歴史とともに伴走する「中村社寺」。代表を務める加藤雅康氏のインタビューをご紹介。