京の名水 古都の味
写真・木村有希 文・白木麻紀子(アリカ)
蓋を開ければ白い湯気がふわり。瞬間に出汁の香りが立ち昇る。口に含めば心ほどける滋味。キジハタの葛たたき、丹波しめじ、小カブに松葉柚子をあしらったみぞれ仕立ての椀は、京都・東山の料亭『菊乃井 本店』の冬おきまりの一品だ。『菊乃井』という屋号は、下河原の名水「菊水の井」にちなんだもの。
同名で祇園祭・菊水鉾の由来となった井戸も知られるが、こちらは豊臣秀吉の正室・北政所が、秀吉の菩提を弔うために建立し、晩年を過ごしたとされる京都・高台寺の近くにある井戸だ。菊の花弁のように水が湧き出たことから名づけられたと言われる。
『菊乃井』3代目当主・村田吉弘さんによると、先祖は北政所に仕える茶坊主だったといい、茶の湯の御用水であった「菊水の井」を代々守り続けてきたという。大正時代に入り、村田さんの祖父が高台寺の山林だった地を譲り受け、大切に守護してきた「菊水の井」の水を用いて料理を供するようになった。
現在その井戸水は使われていないが、代わりに同じ水脈の地下水を『菊乃井』の敷地・地下186メートルから汲み上げて使う。カルシウムやミネラルの含有量が少ない中軟水だ。
「東京の赤坂に店を出すとき、硬度調整機を入れて東京の水で出汁を引いてみたんです。飲んでみたら、もひとつうちの味にならんかった。昆布の出汁の出方が違う。そこで『菊乃井』として店を構える以上、煮炊きには京都のこの水を運んで使うことにしました」と村田さん。
「日本料理は水の料理」とも言われ、古くより料理の根本に水を据え、清きものとして扱ってきた。まずは神からのいただきものである素材を、水で洗い清める。皮を剥く、水に晒す、湯がくなど、様々な工程によって雑味を除き、引き出した素材本来の味に、水と昆布・鰹から引く出汁の旨みと味付けを添える程度に施す……それが料理人の仕事とされてきたとも村田さんは話す。
『菊乃井』の椀物は「ひと口含んだときは控え目な味わい。けれども何日かした後に、ふとまた飲みたくなる」ような〝残心の味〞へ仕上げるのが常だそう。
山々に囲まれ、伏流水が豊富な京都では、豆腐、湯葉、酒、調味料、菓子といった品々が良質な名水により育まれ、独自の食文化を形づくってきた。料理も同様に、近隣で採れた海山の食材と、まろやかな水に旨みが溶け込む出汁が出合うことで初めて〝京の味〞となり、そして継承されていく。
菊乃井 本店
京都市東山区下河原通八坂鳥居前下ル下河原町459
電話:075-561-0015
営業時間:12:00~12:30(入店)、
17:00~19:30(入店)
定休日:第1・3火曜 ※月により変更の場合あり
昼懐石14,300円~、懐石22,000円~(税込・サ別)
※ 新型コロナウイルスの感染症の影響により、営業時間・定休日が記載と異なる場合があります。ご来店時は事前に店舗にご確認ください。
*掲載情報は2021年12月号掲載時点のものです。
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白木麻紀子(アリカ)さんが綴るコラム【京の名水 古都の味】。今回は「桃山時代の井戸とともに名水を守り継ぐ出汁の味わい」。